アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

ラプラスの悪魔

ラプラスの悪魔」ってご存じですか?物理学的に全ての状況を把握し瞬時に計算してしまえるような知性が存在すれば、その知性にとっては未来も全て見渡すことが出来ているだろうという考え方です。現在、一般的にはいくら知性があっても未来を見渡すことは不可能とされているようですが・・・。

予測可能かどうかはまた別問題としても、実際のところ未来は決定しているのでしょうか?
ひとつの考え方として、運命には立命と宿命があるそうです。立命とは個人のちからでどうにでもすることのできる運命。例えば、明日のテストの成績などはこれにあたるかもしれません。そしてもう一つの宿命は、努力ではどうしようもない運命。生まれる時代や親などがそれにあたるという事でしょう。

最近、私は未来は「全て」決まっているのではないか?思っています。そう考えると心がとても楽になります。結果に捕らわれすぎて、ああだのこうだのと思い悩まなくても、ただ与えられた環境の中で自分のベストを尽くせればそれで良いと思えるからです。「人事を尽くして天命を待つ」。

努力は大きく2種類に分類することが出来ると思います。一つは自分を取り巻く環境を変えようとする努力。これが真に大切なのであれば、未来の「出来事」が決定しているという事に虚しさを感じるかも知れません。そして、もう一つの努力は、自分自身の心を変えようとする努力。例え次に起こる出来事が決まっていても、それをどう感じるのかは自分次第です。こちらの考えこそが、幸せの本質だと思うのです。

とかく人間は環境を変えることに捕らわれがちです。例えば、自分により多くのお金がまわってくる環境を手に入れたい(お金持ちになりたい)というように。しかし、これからの時代でより大切なのは、お金持ちでなくても、生活に不自由しないお金を手にしているのであれば、そこに幸せを見いだせるような心の成長が求められるのかもしれません。

私は性格もあって、未来に訪れるであろう結果に捕らわれすぎ、その事が人生にマイナスの影響を落としているように最近感じています。この様なとき、「出来事」としての未来は決まっているのだと考えれば、ベストを尽くし心を成長させることに専念できるため心がとても楽になるようです。結果に捕らわれすぎて、「これではダメだ!」→そしてイライラ・・・という思いは、今の私にはマイナスの影響しか与えていないようにすら思えます。

う~ん、人生はなかなか難しいようです。