アセンションの時代

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「アカシックレコード」と「世界の仕組み」

アカシックレコード」という領域があると言われています。そこには、現在・過去・未来のあらゆる記録が記されているという事です。今日はその「アカシックレコード」を軸にして、私の世界観をまとめてみたいと思います。
 
・時間(中今)
・次元(波動)
 
アカシックレコード」とは「電子ゲームのプログラム」の様なものだと思います。そこにはこの「人生というゲーム」におけるあらゆる可能性がプログラムされています。
 
よく能力者の方達が、「アカシックレコードにこう記されている」と伝えられると、私たちは「それでは未来はそうなるという事ですね。」と受け取ります。時には能力者の方自身が「だから未来はこうなる。」と言ってしまわれます。
 
しかし、実際問題としてその様な情報は「現実とならないことがとても多い」です。そこで、以下の可能性が浮上します。
 
アカシックレコードの存在自体がウソなのか?
・能力者の方達が記録を読み違えているのか(あるいは意図的に)?
・正しく伝えられたが、その情報あるいは私たちの理解が不十分であったのか?
 
私の考えでは上記の3つめで、つまり情報と理解がともに不十分であるというものです。
 
最初にも書きましたように、「アカシックレコード」とは、「実現可能なあらゆる可能性のプログラム」です。そこに記されていることが全て「一人の人生の中に起こる訳ではない」のです。あくまでそれはその時点において「起こりえる可能性の一つ」を読み取ったに過ぎないのです。
 
そして、その情報を受け取ることは、私たちに考えと行動に変化を与えることになります。その程度によって、未来は予言された事から逸れていく事になります。
 
「電子ゲーム」でもそうです。あなたは右へ進もうと思っていたとします。ところがそのゲームを知っている友だちが、「(右へ行くと)崖から落ちるよ。」と言ったとします。そこであなたは崖に対して注意を払った結果として、左へ進み難を逃れる訳です。
 
つまり、「崖から落ちる」という情報は外れた訳です。この時、能力者の方達の情報には「右へ行くと」という情報が欠けていることが多いです。彼らの多くは「崖から落ちる」という事のみを伝えます。それを聞いた人々が崖に気をつけた結果、「予言」は外れる事になるのです。その時、私たちは以下のことを忘れてはなりません。
 
アカシックレコードからの情報とは、その時点における可能性の高い未来であり、未来への可能性は他にもたくさんある。」という事です。未来は1つではないのです。
 
アカシックレコードから与えられる主な情報として、「天災」によるものがあります。現代の常識では、人々の「思いが天災に影響する」等という事はあり得ない訳ですが、私は天災をも含むこの世の全ては「思い」によって創造されているのだと思っています。
 
その世界に住む人々の「集合意識」が天災に強く影響していると思います。
 
例えば天災ではありませんが、解りやすい所で例を挙げますと、私の前には今パソコンが置かれてこの記事が打ち込まれている訳ですが、これは「完全に思いが創造した現象」です。
・ある人々が、パソコンの材料として使ってもらえる資源を採掘しようと「思い行動し」ます。
・ある人々が、資源を加工してパソコンを製造しようと「思い行動し」ます。
・ある人々が、パソコンを仕入れ欲しい人に売ろうと「思い行動し」ます。
・私が、パソコンが欲しいから買おうと「思い行動し」ます。
・私が、パソコンを利用して自分のような考えを知ってもらおうと「思い行動し」ます。
こうした思いの積み重ねの結果として、いま私の目の前にこうした現実が創造されています。
 
こうした時、人々はとかく「行動」の結果と考えがちですが、その「行動」の前には必ず「思い」があるのです。「思い」が世界を創造しているのです。物質世界に馴染んだ私たちにはしっくりとこないですが、私は深く本質的なところでは同じような事が「天災」についても言えるのではないかと思っています。
 
ぶっちゃけて言ってしまえば、「宇宙・世界のあらゆる全ては思いが創造している」のだと言っても過言ではないのでははいだろうかとも思っています。
 
私たちは「アカシックレコード」によってプログラムされた、「宇宙(現状は地球レベル)というゲーム」のまっただ中に生きています。
 
そこで私たちはそれぞれの「自由意志による思い」によって、「それぞれの宇宙を創造」しています。シンプルにはそういう意味においても「パラレルワールド」という考えは成り立つと思います。パラレルワールドについてはさらに深く考えることも出来ると思いますが。
 
この「それぞれの宇宙」「パラレルワールド」という発想は、世間の宗教的発想ではなく「物理学」の発想によっても得ることの出来る考え方です。
 
宇宙の真理(私たちが宗教として追求しているもの)の現れの法則の一部が物理学(広くは科学)ですから、宗教と科学が矛盾するはずはないのです。ただ、どちらもまだまだ創世記にあり未熟であるが故に人間の理解の範囲内においては矛盾だらけなだけです。
 
この辺で今日は締めようと思いますが、最初に上げ時間(中今)と次元(波動)も世界を知ろうとする上ではとても大切なポイントになるのではないかと思っています。
 
現在・過去・未来という時間の流れというのは、そもそもが人間のつくりだした概念でしか無く、現実には現在(中今)という世界しか存在しません。その中今という世界での物理的なエネルギーの移動を効率よく把握するための手段として過去や未来という概念を「思い」により創造しただけなのではないかと。
 
また次元(波動)というのは、この世の根源ではないかと思います。もともと限りなく高い波動(それ自体は波動と言えるのかどうか解りませんが)の波動を落とすことによってあらゆる世界が創造されたと思います。解りやすいところでは音や電波などはその波動の高い低いで様々な世界を生み出します。音の波動が1つであるなら、言葉も音楽も生まれません。固体・液体・気体・魂・霊などもそれぞれ波動が異なります。「人間の五感で物理的に感知できる」のは気体までです。
 
約500年前に人類はルネッサンスという価値観の大転換を迎えたことがあります。この時期に地球は「フォトンベルト」に突入したという説があります。そして、1000年に渡るフォトンベルト通過期間の中で、現在の地球はもっともフォトンの高濃度帯にあると言われ、その中でも究極の高濃度帯が聖書など多くの予言書に記されている「暗黒の3日間」あるいはゲリーボーネル氏の「光の12日間」だと言われています。以前に書いたことがあったと思いますが、実際にマンモスの氷漬けの謎などは、フォトンベルト突入(前回の)による物ではないかとも思っていますので、本当に地球がそういった劇的な宇宙現象に巻き込まれる可能性があり得るのではないかとも思っています。回避の可能性ももちろんあると思いますが。