アセンションの時代

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全体像を捉える

世間一般の傾向として強く感じるのですが、物事を考える時に小分けして考えすぎではないだろうかと思うことがよくあります。
 
私の場合は運が良く?何事も中途半端な知識で、1つのことを専門に出来るだけのものがなかったおかげで、良く言えば専門バカにならずにすんだのかもしれません。浅く広く、物事をトータルで把握しようとするする傾向を持っていられるのは、そうした不幸中の幸いな結果かもしれません。
 
しかし、ある意味においては私はこの浅く広くトータルで物事を捉えるという事は、今の時代において決定的に大切な事なのではないだろうかと思っています。
 
それは、あらゆる事柄について言えることだと思うのですが、先日もあるDVDを見ていてなる程と思わされた事がありました。
 
それは、知る人ぞ知る素晴らしい人で、すでに亡くなられている方なのですが、長尾弘さんという方が関西におられました。霊治療と言うと敬遠されそうですが、この方は今風に言うのならずば抜けたヒーラーでした。
 
その長尾さんが言うには「多くの内蔵の病は胃下垂が原因である」という事です。胃が下へと下がることによって、そこに繋がっている諸器官の管が細く伸びてしまい不具合が生じる。そして、諸器官自体が下へと引っ張られることになる。また、下がった胃によって、その下にある諸器官が圧迫を受けてこれまた様々な不具合が生じる。そんな説明を聞いていると、とてもシンプルで本質的な問題からの身体に生じる様々な不具合を把握することが出来ます。
 
ところが、現在の医学は胃下垂を治すことが出来ないそうです。ですから、胃下垂を病源とは捉えずに、胃下垂は単なる症状の1つとしてスルーしてしまっているようなのです。
 
そして病源である胃下垂をスルーした結果、その対処療法として病状の現れた諸器官への投薬や手術で対応するそうです。しかし、病源の胃下垂はそのままですから、ある程度の年月がたてばまた同じような病状が現れるという訳です。
 
木を見て森を見ず」とはこの事ではないでしょうか。
 
ただ、「そんなことは知っているけれど胃下垂が治せないのだからしょうがないじゃないか」と言われればそれはそうなのかもしれませんが。
 
そうなってくると、西洋医学的な対処療法ではなく、東洋医学的な根本療法が必要になってくるのでしょうが。
 
ちなみにこの長尾弘さんは、胃下垂に限らず多くの病を簡単に治してしまいます。ただ、詳しくどの程度なのかは知らないのですが、精神的なところに問題を持っていると結局は短期間で元の悪い状態に戻ってしまうそうです。
 
個人的にはどのくらいの割合で元に戻ってしまうのか、どれくらいの人が本当に長期的に見て完治したのかを知りたいところですが、それについての情報は残念ながら持っていません。
 
しかし、多くの人はそのまま完治しているのではないかと思っています。治療を受けて以後、長尾さんを慕い続けている人も多いようですから。
 
私が子供に真似事程度に試したときも大抵はそのまま直ってしまっていますから。頭痛くらいの事ですから、子供の思い込みで直っている可能性も否定できませんが。ただ、長男の毎晩のひどいイビキは霊治療の真似事でピタッと収まってから1年くらいたちますが、いまだにスヤスヤと静かに眠っています。
 
話は変わりますが、耳鳴りの音がかなり大きめに聞こえています。しかし、日常生活中はまったく気になりません。瞑想中などでも気にしなければ、ぜんぜん気になりません。あれっ?鳴らなくなった?と思って気にしてみるとハッキリと聞こえてきます。聞こえているときも不快感はまったくありません。
 
それから、瞑想中に内の気と外の気との区別が解らなくなってきたと書いてきましたが、どうも正確には気の感覚において距離感が無くなってきたというのが正確な感じだと気づきました。
 
座禅を組んでいて、頭部または喉と、下腹部と組んだ手の平とにそれぞれ同時に意識的に気を感じる時に、以前は実際の身体上の距離感にあった距離感を感じていたのですが、最近ではその3カ所に距離感を感じられなくなっています。
 
あと、面白い感覚をひとつ思い出しました。少し前からある感覚で、気が高まってくると普通に良くある事なのですが、服がずり上がるような感覚があります。特に背中や腕の部分なのですが、ずり落ちるのではなくて、ずり上がるような感覚です。産毛を逆なでされるような感じです。
 
特に身体が力んでいる状態でもなく、動いている訳でもないのですが、ジッと瞑想をしている状態で服がずり上がるように産毛が逆なでされた感じがするのです。
 
実際にそれが何なのかは解りません。服が動いているのかも解りません。動いても微妙な動きですし、鳥肌や悪寒のように身体的感覚上だけの事かもしれませんし、服が浮いた!とはとても言えません。
 
しかし、少なくとも感覚的には服がほんの少しですがずり上がるような、大袈裟に言えば浮かぶような感覚があるので、その感覚を密かにちょっと楽しんでいます。
 
こうした色々なプチ不思議体験も、結局は「それで何?」と言われれば、現実社会においてどうという事があるわけでもなくくだらないことだと思います。
 
しかし、個人的な趣味の話しとしてでも、気功やアセンションなどの世界のちょっとした裏付けになるかもしれないと考えると、個人的にはとてもワクワクして物理的な不思議で終わらず、思想的な世界探求がますます面白くなっていくので、現象はかなり小粒でもかなりお得感を味わっています。(笑