アセンションの時代

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パラレルワールド(2)~世界を創造するもの~

前回の記事で、この四次元時空における世界が、いかに仮想現実の世界であるかについて書いてみましたが、確認の意味でそれを簡単にまとめながら、本日のテーマに流れ込んでいこうと思います。
 
物質とは、電子等の限りなく無に近い素粒子(それ自体がエネルギーと考えられている)が飛び交う、特殊な「空間」です。世界の真実は、そうしたエネルギーの波(あるいは斑(ムラ))が織りなす、エネルギー的世界だという事です。
 
そのエネルギーの物理的な世界から、私たちはこの肉体に備わっている世界を感知する能力、つまり五感を駆使して、自らの心の内に仮想世界を創造します。
 
空気の振動という真実的現象から、自らの心の内に「音の世界」を創造します。光子が分子に当たり、その跳ね返り具合によって「色の世界」を自分の内に創り出します。それぞれの分子の運動具合に振れることによって「熱の世界」を創造します。
 
私たちが、そこに絶対的に厳然と存在していると思いこんでいる世界は、実は私たちの五感が心の内に創造した仮想現実の世界なのです。ただそこに存在する真実の世界の姿というのは、実はエネルギーの波(斑)の世界なのです。
 
これはとても大切な点ですので、もう一度確認しておきます。
 
物理的真実の世界というのは、素粒子等が織りなすエネルギーの波(斑)的な世界です。
 
そのエネルギー波の世界を素材にして、私たちは自分の肉体に備わっている五感を駆使して、自らの心の内にいま私たちが感じているような色や音や熱など様々な要素からなるいわゆる世界を、仮想現実として創造しているのです。なんと驚異的な芸術作品世界でありましょうか。
 
くどいようですが、もう一度確認します。いいですか?もういい?・・・まあまあ、そう言わずに。ここが核心なんですよ。格好つけさせてくださいょ。(笑
 
1.まず、「素材としてのエネルギー波の世界」があります。
2.その素材を利用して、私たちそれぞれの心の内に表情豊かな世界を「五感が創造」します。
3.そうして現れた世界に、私たちそれぞれの「心が意味を与えます」
 
私の五感が世界を創造し、私の心がその世界に様々な意味を与えているのです。これが私の知っている世界の真実です。
 
では、あなたの世界の真実は?
 
あなたの五感が創造し、あなたの心が意味を与えているんですよ・・・ネ。
 
これがパラレルワールドです。
「あなたの世界」と「私の世界」は違うのです。
それは別々の世界なのです。
ただし、世界を創造する素材は、さしあたって同じです。
つまり、パラレルワールドとは「視点と可能性の数」だけ存在するのです。
 
「つらい?」「悲しい?」「嫌だ?」。しかし、そのような意味を与えられるのは、当人以外にはあり得ないのではないでしょうか?もし他の人ならその事に「力の発揮しどころ」「チャンス」「踏ん張りどころ」等の意味を与えるかもしません。しかし、私たちはその可能性をあまりにも知らなさすぎます。真実の、無限の可能性を秘めた本当の自分を忘れてしまっているのです。
 
少なくとも私は自分に、「そうではないだろうか?」とマジメに問いかけています。「そうかもしれない。」と感じ始めています。しかし、一方で「そんなはずはない。」というように、逃げ道を探すような思いもうずきます。
 
逃げる?何から?それは自己責任意外にはありません。これは自由意志真理の法則とも密接に関係してきます・・・・が、
 
ゴメンなさい。話しがまとめられなくなってきた感じがしますが、書きたいことを書いていきます。
 
う~ん。どうしても、キチンと解ってもらいたいと思うと部分的な話しとして進めたくなるのですが、それは不可能なことで、やはり部分と同時にその前提となる全体像も知る必要が出てくるのです。しかし、こうした思いつきでかいているようなブログの形式ではなかなかそれが私には難しいです。何を書けば良いのか解らなくなってしまいました(笑)。書きたいことの幅が頭の中で広がりすぎて・・・バクハツです。
 
やっぱり、今日はここまでにします。改めてもう少し「パラレルワールド」か、あるいはそれに関する世界観についての補足を書きたいと思います。頭のバクハツが、きれいに鎮火したら・・・。
 
最後に自分的に面白い逸話をひとつ。あっ、ここからは(ここまでもか(笑))雑談です。
 
10行くらい上に一言入れました「真理の法則」について。
実はこれ、夢の中に出てきた言葉で何日も頭から離れなかった言葉なんです。私は子どもの頃はそこそこ夢を見た記憶があるのですが、大人になってからはほとんど夢を見ない(覚えていない)んです。それが、珍しく夢を見て、しかも普通はすぐに忘れてしまうのですが、その言葉と場面だけは頭にこびりついていたんです。そこで、インターネットでその言葉を検索してみました。膨大なヒットがあると思っていたのですが、その時にピタリとヒットしたのは1件だけでした。それは本の題名でした。「真理の法則」(西園寺昌美 著)です。私はその頃、家庭的にかなりの問題を抱えておりまして(今も環境的には大差ありませんが(笑))、そこそこ精神的にまいっていたんですね。正確には、まいっていたというよりどうして良いのか解らなくなっていたんです。そのタイミングでこの本はドンピシャ!でしたね。救われました。それ以前から私の中には、「神っていうのは言い方を変えれば法則だよなぁ。」という漠然とした思いがあったので、後になってみればこの言葉ひとつにも、大きなヒントをもらっていたような気がしました。本当はその夢に、知的生命体なりなんなりが出てきてその言葉を講釈してくれて・・・・などというストーリー性があるとオモシロイのですが、以前からもブログにチョイチョイと書いているように、私のこうしたプチ不思議体験にはストーリー性がまったくありません。この時も、ある場所の中をあるいていてその「真理の法則」という言葉がただ強く頭に浮かんだだけ。まあでも、そこにいちいちストーリー性があったら、何か勘違いして変な方向に人生を進んでしまうかもしれないから、それでいいのかもしれませんがね。
 
ああ、そう言えば今朝、瞑想をしていて感じたのですが、最近、自分の中に感じる「気」の強さが変わってきていまして、何となく物足りなさを感じていたんです。「気」自体は強くなってきているように思うのですが、その感じ方が弱くというか物足りなくなっていたんです。矛盾しているようなこの感覚が解消しました。つまり、頭部など身体の一部に強く気を感じるという事は、それ以外の場所に気が満ちていない、つまりスカスカだという事です。そういう場所にまで気が満ちてこれば、当然ですが全体として気が強くなりながら、相対的に一部分だけに強く感じるという感覚が弱まってきます。つまり、私は気がスカスカだった部分にも少しずつ気が貯まりだしているのだと解釈しました。おお、何というポジティブシンキング!もしくは単なるバカ?(笑