アセンションの時代

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汎神 ~「ただ在る存在」と「真理の法則」~

一神教多神教という考え方を良く耳にする事がありますが、汎神という考え方をご存じでしょうか?意識するとしないとに関わらず、日本人の思想や日常に深く浸透している神道は、本来、多神教ではなく汎神教であると言えます。これを神話的解釈から、私なりに現実的解釈に変換してみようと思います。部分的に、「パラレルワールド(2)」の時の記事を引き継ぎますが、今日の中心は少しパラレルワールドからずれるかもしれません。
 
本題に入る前にひとつことわっておきますが、私は何の専門家でも学者でもありません。従って、私が述べるのは教科書が述べる学問ではなく、自分で学び感じそこから醸し出されたものであり、私がより真実に近いであろうと考えるものです。
 
従って、教科書と比較してあそこが違うここが違うという部分もあるかもしれませんが、それは承知の上で書いていますのでご了承下さい。
 
それは真実に対して、教科書が間違っているか、私が間違っているか、どちらも間違っているか、はたまたどちらも正しいか等々という事だと思いますので、これらを踏み台にして、皆さんは皆さんなりの世界観を育てていって頂きたいです。
 
大切なのは第一に自分の世界観を持つことです。それは、自分の考え自分の経験から導き出した世界観です。第二としてそれがより真理に近い世界観であることが大切です。
 
正しい誰かの教えを、ただ盲目的にお経や呪文のように唱えるだけでは何の意味もありません。もっと言ってしまえば、真理から遠く離れた考えでも自分の世界観として実践すれば、それは本人にとっては大切な学びの機会となります。ただ、その自分の世界観が、より真実に近い方が良いのは言うまでもありません。
 
話しがそれていますねぇ。今日の本題に戻します。一神教多神教・汎神の考え方です。
 
一神教は、唯一の神が存在します。そして、悪魔や人間等々の神でないものも存在します。従って神は全てではありません。
 
多神教では、たくさんの神が存在するとされます。日本では八百万の神と言ったような考え方です。そういう神々の力に囲まれて、この四次元世界が支えられているというような考え方でしょうか。
 
では、汎神はというと、「全てであり部分である」というような考え方だと思います。色々な生命や神が存在するという多神教でありながら、それらは結局の所、究極的には全ては唯一神から生まれているという考え方です。
 
日本には古史古伝という、常識を超えた古くからの書物が複数存在します。その中のひとつに竹内文書というものがあります。これがなかなか面白い本なのですが、戦前には社会的にもかなりの話題になったようなのですが、部分的に天皇に対する不敬罪にあたるとされて長い裁判に引きずり込まれ、再び歴史の表舞台から引きずり下ろされる事にってしまいました。ちなみに、裁判は結局、無罪でした。
 
すみませんね。たびたび話しがそれますが、もう少し続けます。
 
この「竹内文書」を代々継承してきたのが皇祖皇太神宮です。もともと富山県にあったものが、現在は茨城県に移っています。茨城県の海岸沿いで連発している地震のまさに震央付近です。人工地震・・・狙ってる?まあ、それは解りませんが、個人的には震央と皇祖皇太神宮の位置的な重なりに当初から違和感を感じています。
 
第二次世界大戦終戦と同時に、アメリカ軍は日本各地で一目散に向かった場所というのがあります。その1つが皇祖皇太神宮だと言われています。また、失われたアークが隠されているという説もある、仁徳天皇陵にも重機部隊が向かったそうです。もちろん、アークは見つけられていないと思いますが。
 
この竹内文書と霊界からのチャネリング情報(神示)を融合させたのが、矢野祐太郎氏の「神霊密書」です。この矢野祐太郎氏はご自身もチャネラー(霊能力者)であり、奥さんは日月神示の重要性を見いだし解読に貢献、それをひふみ神示として世に送り出した最重要功労者の1人です。
 
この矢野祐太郎氏も、天皇崇拝者でありながらその説に国家神道との矛盾があったことから不敬罪により投獄され、最終的には獄中で毒殺されてしまったようです。
 
で・・・、何で竹内文書の話しをしていたんでしょうか?そうだ、汎神でしたね。
 
この竹内文書、膨大な量があるようなのですが、そこに宇宙の創造からの歴史が綴られているのです。
 
元無極體主王大御神(もとふみくらいみのしおおかみ)これが絶対神です。世界のはじめに世界の全てとして存在した神(ただ在る存在)です。竹内文書はこの神を初代として、延々と現在の天皇陛下まで繋がる天皇の系譜が伝えられています。
 
その系譜はある意味では唯一神の進化と体験の歴史書のようなものです。ようは、その絶対神がただ己だけが存在した世界から、様々な神(という名の法則)を生み出し次々に世界を創造し、自分自身をあらゆる角度から体験し学び成長しているのです。その1つの視点が、神の一部としての私達個人個人の学びなのではないでしょうか。そして、それを総括した学びの歴史書が神から天皇へと繋がる系譜とも言うことが出来るのです。
 
ちなみに、一般的に初代天皇とされる神武天皇は、神倭朝に入って最初の天皇という事になり、その前の系譜も上の元無極體主王大御神にまで途切れることなく繋いでいます。
 
時間が無いのでここまでにしておきます。何ともまとまりのない記事ですみません。