アセンションの時代

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「命」を楽しむための基礎知識

時間軸について少し前に記事を書きました。同じような内容になるかも知れませんが、今朝何となくシックリとする感覚があったので、あらためて整理してみたいと思います。それ以前の「ただある存在(絶対神)」「真理の法則(多神)」等について書いた記事とも関連します。
 
時間というのは、この次元において創り出された概念で、実際にはその様なものは宇宙には存在しないそうです。
 
時間が存在しないとはどういう事なのでしょうか?
 
簡単にそれを言ってみますと、「はじめ無く、終わり無い」という事です。それが真実です。
 
しかし、私達はあらゆるものにはじめがあり、そして終わりがあるのだと考えがちです。そうした日常的感覚におけるはじめや終わりというのは、それではどのように考えたら良いのでしょうか?
 
それは、はじめでは無く変化です。既に存在したものが変化したという事です。終わりは?次なるものへと変化したということです。
 
氷という状態は溶けて終わります。しかし、実はそれは変化と捉えるべきものなのです。氷は溶けて水に変化します。水は熱せられて終わりますか?いえいえ、それは水蒸気へと変化するのです。
 
では異次元をも含めた全ての存在の源は?それが「ただ在る存在(絶対神)」です。それは「はじめ無く終わり無い」存在。
 
それが、様々な真理の法則(規則性)によって変化し、あらゆる角度から自らを体験し成長し続けています。それを弥栄といいます。永遠にますます栄えていくという事です。
 
多神教の多神とは、上に言うところの真理の法則の事です。多神とは法則神の事だと言えるでしょう。
 
私達の魂は、「ただ在る存在」が「真理の法則」によって変化した一部分だという事になります。その魂は「ただ在る存在」でありながら、「真理の法則」の「自我と自由意志」により仮想的に相対的な存在として独立したかのような立場におかれています。
 
それが「ただ在る存在」が、己を知り体験し弥栄していくために必要だからです。
 
物理的性質の強いこの次元で考えられている時間というのは、物質の位置が相対的に移動する期間を基準にしています。地球の自転、公転などです。
 
しかし、それは物質的性質が強いこの次元ならではの便宜上の概念で、より真実に近い時間というものの基準は、魂の進化、大きく言えばただ在る存在の弥栄のスピードが基準になるのではないでしょうか。
 
そして、一見すると弥栄していない進化が止まっているかのような場合であっても、それが学びの機会であるのだと言うことを知れば、結局はそれも進化の一形態であり、結局は時間など無いという事になるのかもしれません。
 
そして、過去・現在・未来の全ては今ここに存在しているというのは、つまり、ただ在る存在の一部において私達が選択して体験している部分は、常に変わらず我々の前に存在しているという事だと思います。
 
従って時間とは、それを解釈する私達自身の魂の変化の流れに他ならないのです。
 
これに関連して「引き寄せの法則」を説明します。
 
引き寄せの法則とは、原因→結果の法則ではなく、結果→原因の法則を言っているのではないでしょうか。YouTubeの動画か何かで、そのような事を見かけたような記憶があるような・・・ないような・・・。
 
通常の考えでは、原因となる何か事が起こってそれに対して結果として感情が現れると考えると思います。
 
しかし、引き寄せの法則では、例えば嬉しいことを思いそのような感情にあることによって、嬉しい出来事が起こるという考え方だと思います。
 
これは、「ただ在る存在」と「各個の自我」との「相対的な関係」において考えると、私的にはとても納得がいきます。それは、私達はただ在る存在の見たいところを見て、体験したいところを体験できるという事です。
 
各個の自我が、恐怖の波動で世界をのぞけばそういう体験ができ、喜びの波動でのぞけばそういう体験が出来るわけです。
 
自分がどのような波動で、「ただ在る存在」に対して相対するかと言うことが問題であり、「ただ在る存在」は全ての可能性として常にここにただ在るのです。
 
これらの考えは、私がこれまでに繰り返しこだわってきたパラレルワールドによる考えが理解できていないと、うまく馴染めないと思います。
 
世界はかなりオモシロク出来ているようです。