アセンションの時代

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「ドロップアウト」の勧め

駒澤大学デリバティブの損失に関連して、BNPパリバ証券へ約84億円の損害賠償の支払を求める訴訟を起こしたそうです。
 
この取引に絡む損失は154億円にのぼっているようで、84億円はその一部という事になります。
 
リーマンショック後の為替変動で、全国でこうしたデリバティブに関連した損失が広がり話題になりました。今回の訴訟は、そうした問題のほんの一例にすぎません。こうして損失を被ったのは、全国の大学・自治体・地方銀行から幼稚園、果ては経団連まで・・・・、まったく何をやっているのでしょうか?
 
こうした団体等を一言で表現するなら「カモ」ということでしょう。カモにされているんです。私達の国を先導していく人々の集団は。言うまでもない事かもしれませんが。
 
ちなみに私も数年前までは、カモにされている事を楽しんでいたくちですから偉そうなことを言える立場でもないのですが。
 
ちなみにこれは主に豪ドルに絡む損失で、東日本大震災以降の円高ではさらにバージョンアップしてその損失が各団体に襲いかかっているものと想像していますが・・・、あまりそうした報道は見かけませんがどうなんでしょうか?私の危惧に終われば良いのですが、損失を含み損として抱えたままどうすることも出来ずに頭を抱えている団体が全国に広がっているのではないでしょうか?
 
3年ほど前の記事になりますが、朝倉慶氏の記事が参考になります。私は把握していませんが、それ以降に政治的に何らかの回避措置が取られていれば良いのですが・・・・。
 
これまで、社会は闇の勢力の支配体制をその幹として、枝葉のリーダーが育成されてきていた訳ですから、枝葉のリーダー達はキチンと幹(闇の勢力)へ栄養(富)がまわっていくように機能するのは当然のことです。
 
東大・慶応・早稲田・経団連・・・。ことごとくがデリバティブの罠にはまっているという現実は、こうしたこれまでの社会の仕組みからみれば必然以外の何ものでもないのです。
 
逆に言えば、そうでなければエリートにはなれない仕組みがしかれてきていたのです。
 
受験って何ですか?与えられた知識を、いかに詰め込めるかの競争でしょ?
 
仕事をしていると、私は良く議論を避けるんですよ。論点がかみ合わないんです。
 
それは目的達成のためには無意味で、あまりにも非効率ではないか?と意見してみても、「去年はこうやったはずだけど、資料持ってこようか?」とか、「上司がそう言ったよ。そう言ったよねぇ。確認してみる?」という議論になってしまうんですね。
 
目的が解っていないというか、言われたことをやるのが目的になってしまっているんですよ。一部の人がそうなのではなく、そろってみんなそんな感じなんですよ。私こそが一部どころかごくごく一部の異端児なんですよね。
 
そういう場所では、異論は和を乱すだけで進歩に繋がらないんですよね。半端な規模の職場で、私は未だに年功序列の一番下っ端ですし(笑)。お手上げです。
 
ちょっと、愚痴ってみました。
 
だいたい、私のドロップアウトというのはかなり早いほうだと思うのですが、中学生になった頃から大きく意識的にドロップアウトを目指していましたから。
 
小学校までの僕ちゃんイメージの惰性で、高校は地元の進学校へ推薦で入ったのですが、大学受験は拒否、専門学校へ行きそこでも担任に「あいつだけは解らん」と評されていたようで、副担任が妙に納得しながらそう言っていたのを覚えています。
 
就職活動も拒否。中国・パキスタンを2ヶ月かけてバックパッカーして来ました。
 
その後、運良くか悪くか、地元に就職して現在に至るわけです。
 
でも、ドロップアウトは完全に正解でしたね。学歴や資格や肩書きには一切こだわらず、知りたいことを勉強しやりたいことをやり・・・。結局、それは「自分を信じた」ことに対する結果なんですね。
 
大人の言うことはかなり歪んでいると感じていましたから、自分の方が真実に近いと確信していましたから、だから私は迫られていたんですよね。自分を放棄してエリートを目指すのか?それとも自分の人生を活きてみるのかと。
 
ドロップアウトとは、自分を信じるという事だと思うんですね。
 
これから時代を動かす人というのは、かなりの確率でドロップアウト組の出身ではないかと思います。
 
私も時代は動かせないまでも、職場や家族という現実的なレベルにあわせて・・・・。
 
ダメじゃん。嫁さえもどうにも持ちかねているのに・・・。説得力ないね(笑)。
 
あ~あ~ぁ~~~・・・・