アセンションの時代

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パラレルワールド「個人の選択」と「集合意識の選択」

パラレルワールドは、私が特にこだわっている現象世界のとらえ方なのですが、これについて以前から知りたいけれどイマイチすっきりとしない疑問点があります。
 
パラレルワールドによると、現在私が存在するこの世界は、実は魂としての私自身が自らの内に創り出した仮想世界と表現することが出来ます。
 
現れる全ての現象は、物理的・中立的な現象であり、そこに自らが意味を与えます。そうして、世界の意味を創造していくのです。つまり、世界のあらゆる意味とは、自らが与えたあらゆる意味であり、つまりそれは自分自身の内面世界をこの物質次元という鏡に映し出しているのです。
 
しかし、それだけでは無いはずです。それだけでは、私だけが魂ではなく、みんなそれぞれが魂の存在であるはずですから、その辺の整合性はどのようにとられるのだろうか?
 
世界は自分を映し出す鏡であるというとらえ方を、あまりにも極端に捉えすぎると、他の魂(人)との交流さえも1人芝居に感じてしまう心配が出てきます。しかし、それは正解ではないと思うのです。魂よりさらに深い存在、唯一である存在から分かれた自分の霊という所まで遡るとその通りなのかもしれませんが、少なくとも魂の次元においては、対等に別の魂たちとの、本当の交流が成り立っているはずだと思うのです。
 
ただ、そうであるという事と、この物質次元は自分の内面を映し出した鏡の世界であるという事との整合性が自分の中ではまだスッキリとしていません。
 
さらに、自分の鏡とは言っても、そこには物質次元という「基本システム」と「基本ストーリー」が存在するはずです。従って、ポジティブ思考でいれば、絶対に自分の選択したパラレルワールドでは「巨大地震や世界大戦」は起こらないというものでも無いと思うのです。
 
そういったストーリーには基本形が存在するのではないかと言うことです。パラレルワールドにより、自分があらゆる可能性の中から相応しい世界を選択していくとは言っても、それは白紙から全てを選択するのではなく、基本となるストーリーを出発点として、その立ち位置の中から自分の世界を選択していくのだと思うのです。
 
従って、現在、私やあなたがそれぞれに体験している事というのは、それぞれが選択した体験であり、それが家族環境・仕事・趣味・人間関係等に現れていると思うのです。それは個人レベルでの選択の結果が大きいと思います。
 
しかし、地震・戦争、さらに大きいものとしてはアセンションなどがそうだと言えると思うのですが、個人レベルではその根本を変更することの出来ない「基本ストーリー」が存在すると思うのです。そのき基本ストーリー構成にあたって大きく影響しているのが、私たちこの次元世界の参加者グループによる「集合意識」だと思うのです。それは、私たち魂間の申し合わせ事項なのかもしれません。
 
そこで心配が生じます。個人レベルでのポジティブ・ネガティブの思考選択では動かせない、物質的現象というのがあると思うのです。それは、集合意識の選択による地震・戦争・アセンションなどではないでしょうか?
 
これまで大予言者達によって予言されてきた世紀末的世界像は、個人の世界によってホイホイと変更のきく世界ではないような気がするのです。ただ、そのような基本ストーリーの最中においても、個人の選択により常にポジティブに生きていくことは完璧に可能であり、私たちはそれを心がけるべきだと思います。
 
しかし、個人のポジティブ思考のみで地震や戦争を避けられると思っていると、それは失望と混乱を生んでしまう可能性があるように感じています。
 
そうして考えたときに、今後、地球規模の地殻変動による天変地異や人災である世界大戦は完璧には避けられないのかもしれないという思いが、最近少し涌いてきています。しかし、そうした基本ストーリーもチャネリング情報などからは、数は少ないものの必ずしも1つのものではなく複数存在するようにも感じますので、よりポジティブな世界を選択できるように心がける必要はあると思います。しかし、やはり「集合意識」としての縛りは存在すると思うのです。
 
これまで繰り返し予言されてきた日本での巨大地殻変動は、東日本大震災で動き出したようにも感じられます。実際にあまり広く報道されていませんが、東北地方の海岸部では震災によりかなりの地盤沈下があったようですよね。表現を変えるなら、プチ日本沈没じゃないですか。
 
第三次世界大戦もかなり現実的に動き始めています。とても嫌なのですが、聖書の黙示録にそって確実に動いているような気がしてなりません。そして、実際にそれに関わる指導者達は恐らくその聖書の黙示録を意識して、それを基本ストーリーと意識して世界を動かしているのは間違いないように思えます。
 
日本人が考える聖書と、欧米人が考える聖書とは全く別物であると言うことを知らなければなりません。
 
現在、世界は「欧米・アラブ世界」と「ロシア・中国・イラン」がシリアで睨み合っている状況にあります。各国ともすでに大規模な軍隊を移動あるいは移動させる準備を進めているようです。ハルマゲドン(メギドの丘)での戦いに向けて、確実に世界が大きく動き始めている感が否めません。
 
「欧米・アラブ世界」とはいわゆる闇の勢力の支配が強い世界です。そして今後、世界を動かしていくと見られるのがロシア、そして恐らくはプーチン大統領が中心となる可能性が高いようです。
 
ネガティブな思考を煽ろうとしているつもりはありません。どの様な状況にあっても私たちはポジティブに明るい未来に向かって、そちらを向いて進んでいく必要があります。それは、とても大切なことだと思います。
 
しかし、集合意識の選択しつつあるネガティブな未来を無視して良いのだろうか?そんなことは知らぬ存ぜぬで、現実を無視してお伽の未来だけを見ていけば良いのか?それが解らないのです。もしかしたら、それが正解であるという可能性も否定しきれません。解らないのです。
 
そこで、私の選択は、取りあえず「集合意識の選択する基本ストーリー」はそれはそれとしてキチンと大筋だけは押さえておきたい。ただ、あくまでも集中するべきは、個人の選択によるポジティブな思考。集合意識の選択する世界も関心を持ち押さえてはおくが、あまりそれに捕らわれすぎてネガティブな思考に巻き込まれないようにする。
 
それが、現在の私が考えている、パラレルワールドにおける私の思考配分方法です。
 
個人の選択のみでは、やはり一般的にネガティブと捉えられがちな社会現象を避けることは出来ないような気がしてきました。しかし、それでもなお、最終的には自身のポジティブな思考が自分の人生の全て(精神世界における)を決するのだと思います。
 
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