アセンションの時代

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この世界の全ては「自分」である

瞑想をするときに、いまこの瞬間この場所に意識を集中すると、より自分を感じられるような気がします。
 
この瞬間・この場所とは私の全てという意味になるかと思います。
 
時間というのは実際の所、「この瞬間」以外には存在しないのです。しかし、私たちにはあまりにも無意識の部分で「過去や未来」という概念を意識下にまで組み込んでしまっています。過去や未来なんていう時間は存在しないのです。
 
あなたは過去や未来を生きたことがありますか?
 
もちろん無いと思います。私たちが生きているのは常に「今この瞬間」なのです。仮に1日後、1日間という概念に当てはめてみても、その時に存在している時間は常に「今この瞬間」以外にはありません。実際に1日後になった時に、私たちは「私は1日後の未来に生きている」とは思いません。1日後になってもやっぱり「今この瞬間」に生きているハズです。
 
これは詭弁ではなく、真実なのです。過去や未来という表現こそが詭弁なのです。
 
過去や未来という既存の表現にどうしても捉えられてしまうのであれば、その概念をこう変えてみて下さい。「過去や未来とはあなた自身の波動の軌跡・履歴や可能性」なのだと。過去や未来とは、今この瞬間という唯一の時の中で刻々と変化し続けるあなたの波動の履歴であり可能性なのです。
 
そもそも、時間というのは存在変化を効率よく把握するための概念なのです。真理ではないが、効率的にそれを把握するために「仮に」そうした概念として利用しているだけなのです。
 
私たちは、「今この瞬間」という唯一の時間において刻々と波動を変化させ続ける存在です。
 
では次に、「この場所」とはどの場所なのでしょうか?
 
例えば、今あなたが感じている世界、目の前の風景・聞こえてくる音・感じられる気温などの感覚は、どこに存在していますか?例えば目の前に存在しているパソコンのキーボードは、そこにそうして絶対的に存在しているのでしょうか?
 
パソコンのキーボードはそこに絶対的に存在しているのではありません。それは規則正しい素粒子の配列を、私たちの目がそのように映像化しているのです。これは、音についても同様のことが言えます。
 
人と会話をしているときに聞こえてくる言葉は、絶対的なものではありません。それは連続する空気の振動の変化を私たちの耳が音として音声化し、そこに私たちが意味を与えているものなのです。
 
世界は全て私たちがその五感によってつくり出した仮想世界なのです。それは、「本当の私たち」とその「自我の外の存在」との境界線に映し出された、私という存在の映し鏡なのです。
 
私の目で見るからそう見えるのです。次元の低い存在からは光の固まりに見えるのかもしれません。次元の高い存在からは暗くて何か判らないかも知れません。そして、その映像に意味を与えるのもまたあなた自身なのです。
 
キーボードを見て、キーボードと感じるのはあなたの世界での出来事です。アフリカの奥地でネイティブな生活をしている人から見れば、怪しげな物・危険・ゴミ等に見えるかも知れません。タッチパネルなどの最先端の仕事をしていれば、例えばですが博物館の展示品と受け止められるかも知れません。それが地球外知的生命体のような存在であればなおさらです。
 
つまり、映像的にも意味合い的にもそれは絶対的ではなく、あなたの世界的な存在なのです。
 
あなたが感じている全ての世界は、あなたの自我と他の間に映し出されたあなた自身なのです。
 
世界とはあなたなのです。時間とはこの瞬間しかないのです。
 
全ては「個性的波動の現れ」なのです。
 
あなたが無限にも感じてしまうこの広大な世界は、実はあなた自身の「個性的な波動の現れ」であり、「この場所・この瞬間」という動くことのない唯一の場所・唯一の時間において止むことなく変化し続ける存在なのです。
 
(笑)
 
伝わるかなぁ?ややこしいかもしれませんが、これは本当は知識ではないと思うんですね。それは「感覚」なんです。
 
瞑想をしながらそれを感じるものなのです。さらに言ってしまえば、瞑想などとかしこまらずともいま日常において、それを「感覚的に感じる」ものなのです。
 
過去や未来なんて、単なる仮の概念でしかない。私たちは唯一の今という時間の中で、刻々と変化しているのです。場所なんていうのも仮想でしかない。私たちはただ自らのは々の変化によって、小さな自我とその外側(大きな自我)との境界線に映し出す世界を変化させるだけなのです。
 
全ては自分を知るためにつくり出された全面鏡の仮想世界なのです。
 
自分を知るために、自分を拡大調和させるために、つまり弥栄する神の一部としてそこへ還るために。
 
PS : 以前に記事に書いたこともありますが、空の雲が多くなっているのではないかとずっと感じていました。ところが、昨日はまさに雲1つ無い快晴でした。ここ最近、少なくとも半年以上は私の記憶にない空でした。昨日の記事にも書きましたように、10/22をちょっと気にかけているのでその思いも影響してのことだと思いますが、とても違和感を感じました。秋とはいえ。
 津波が来る前に、大きく潮が引いていく。そんなものを感じてしまいました。今朝も快晴で雲は引いたままですが、南の果てにチャプンチャプンと少しの雲が現れたり消えたりしている感じです。
 このブログを見てくれている人は知っていると思いますが、私のこうした予感的感覚は当たらないことに定評があります(笑)。今回も当たらないことを祈っていますが・・・、大きな視点から考えれば当たらない方が良いのか悪いのか・・・?