アセンションの時代

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「時間の加速」を考える

何か、下り坂を惰性で加速していくような、そんな時間の中を何にぶつかることもなく、ドンドンと進んでいるようなそんな毎日が過ぎていきます。
 
そうした感覚的なことで言うのであれば、「時間が加速している」というのは、単に物事発生の感覚が狭まっているというよりは、文字通りに本当に時間が加速しているように感じられます。
 
つまり、映画のフィルムに例えるのであれば、発生間隔が狭まるというのは、出来事と出来事の間の動きのないフィルムを抜き取って短縮してしまうと言った感じです。
 
私はきっと時間の加速とはそういうことであるのだろうと思っていたのですが、どうも感覚的に最近感じるのは、出来事の間に限らず全てが加速しているように感じられるのです。それは、映画のフィルムの回転速度が加速してきており、その結果として映像が早送りになっているような感じです。
 
その映画の中では、変わらずに地球の自転は24時間ですし、物事の順番もその発生間隔の比率も同じなのです。映画の中の登場人物にしてみれば、頭の回転速度も話すスピードも全てが一体となって加速しているので、何も変わったようには感じません。
 
ただ、第六感的な感覚だけが、外の世界(次元)との比較による「時間的加速」のズレから何となく違和感を感じる程度です。
 
私はそれを一般に言われる様に、年を取った事による人間に共通した個人的な感覚の問題だと思っていたのですが、ボーッと感じてみると本当にそれだけか?って思えたりもします。
 
今までは10歳の子供にとって1年は10分の1。50歳の大人にとっては50分の1だから、早く感じるのかなと思っていたのですが・・・。
 
実際の所はどうなんでしょうかね?時間軸の異なるこの次元の外から観察してみないと分からないのかもしれませんね。
 
先の映画の例えで言えば、フィルムという2次元の世界に住んでいては、映写機の回転スピードを知る事は出来ないという事なのかも知れません。
 
もちろん、「時間」についての考え方は過去の記事にも書いたようにあくまでも波動の一連の変化を把握するための概念であり、過去や未来という時間が存在している訳では無いのですが。
 
過去とは波動の軌跡であり、未来は可能性だと思うんですね。そこには動きはありません。ただ存在するのみです。ただ、次元を越えて自分(魂などの形態で)がそこに行けば、過去や未来も動き出すのかもしれません。
 
ややこしいですね。オモシロイですけれど。