アセンションの時代

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成長という「覚醒ゲーム」

今日は「成長」という言葉について、思うところを記事にしてみたいと思います。
 
人間が成長するというと、一般的には肉体的・精神的な成長があり、どちらもこれまでとは違う自分に拡大方向へと変化していくと考えられていると思います。
 
その考えを全否定する訳ではありませんが、実はここにはひとつのトリックが隠されていると思うのです。そのトリックに気付くことが、アセンションなどのいわゆる非肉体的な進化の1つの促進剤になるのではないかと思っています。
 
人間の成長には実は3つの大きな区分があるのです。それは「肉体・魂・霊」の3つです。
 
まず、肉体については普通に考えればそれで良いと思います。二十歳前後くらいをピークとして、成長しそして老化していきます。
 
次に魂についてはどうでしょうか?スピリチュアルな思想においては、魂の成長こそが人生の最大の目的だともされていますが、ある意味においては私もその通りであると思っています。
 
魂の成長は、肉体を始めとする物質環境に大きく影響を受けますが、必ずしも肉体の成長と老化に歩調を合わせるものではありません。基本的に肉体が老化をはじめる頃から、魂の成長は逆に加速することが良くあります。スピリチュアル的な世界に関心を持っているような人は、そういうタイプの人達だと思います。
 
その一方で、表面的にはほとんど成長しない、あるいは退化しているように見える人々も多く存在します。しかし、それらの人々も一見そのように見える表面的な経験を通して、自分に不足している部分を補う形で成長しているのです。
 
失敗を通して力を蓄え、成功という形で成果を発揮する。魂の成長にもやはりひとそれぞれのペースというものがあり、しかも、肉体ベースのスピードとは大きく異なります。魂は輪廻転生において肉体を渡り歩いて成長を重ねていきますので、1回の人生を贅沢に使って失敗という経験で成長の力を蓄えます。
 
この時、たまたま今回の人生においてこれまでの成果を発揮する人生を選択している人々から見ると、「どうしてわからないのか?」「なんてもったいない生き方なんだ!」とじれったく感じてしまうこともありますが、魂はある意味では永遠であり、焦らなければならない理由はないのです。
 
ただ、現在進行しているアセンションと言う特殊なイベントは、そうそうある次元の卒業入学式ではなく、卒業入学試験のボーダーライン前後の人達にとっては魂のレベルからの胸騒ぎが湧き上がってくるのです。
 
かといって卒業しないことを決めている人も多いようで、それはそれでただ単に「選択」の違いに過ぎないのです。もう少し、この次元をゆっくりと楽しみ学んでいきたいというそれだけのことなのです。
 
この次に書く、「霊」の視点から見れば明らかなのですが、そこには進歩的だとか遅れているとか、優秀だとか劣っているという二元的なものは存在しません。ただ、その状態を楽しむことを選択しているだけの事なのです。
 
ただし、「魂」の視点にはそうした二元性がまだ多生は残っているかも知れません。「霊」の視点には二元性は存在しません。そこが今日のポイントです。
 
では、その「霊」とは魂とはどう違うのでしょうか?
 
簡単に言ってしまえば、「霊」には成長はありません。つまり、すでにパーフェクトな存在なのです。そのパーフェクトな光の波動の存在が、魂という低い波動に覆われる事によって己を忘れ、その記憶のカケラで自分を思い出していく過程が魂の成長なのです。
 
つまり、魂の成長とは、「目覚め」であり「覚醒」なのです。自分はパーフェクトな霊という存在であったと目覚め覚醒するその過程こそが成長というものの正体なのです。
 
つまり、私達の存在の本質はパーフェクトであるのです。
 
さて、ここからがポイントです。
 
つまり、私達は様々に理想的な自分を思い浮かべて、今は違うけれどそのような今とは違う自分になろうと努力をするのです。
 
しかし、何と皮肉なことなのでしょう。実は私達は今すでに、この瞬間にもパーフェクトな存在であるのです。その本質において成長することなど出来ないのです。出来るのはその本当の自分の周りに深い霧のように漂っている魂の波動を上げて、最終的には魂自体を光の霊の波動にまで上昇させる事なのです。
 
解りやすく言えば、本質的(肩書きや所有物に囚われない心の核心に存在する霊的)な自分には成長の予知はないので、忘却の波動である魂を成長させて自分を思い出し覚醒していくことが大切なのです。ん?同じ事を繰り返してるね。(笑)
 
ようは違う自分になる事を目指すのではなく、自分の中に眠っている本当の自分に気付くのだという、その方向性の修正が必要だと思います。ようは、外側の体験を通して自分の内側へと内側へと集中していくのです。そこで本当の自分を思い出すのです。
 
本当の自分は直感として、日常的にも信号を送ってきます。理屈理論で考えるのは、まだまだ内側の浅い領域における探求です。さらにそれを深めて感覚的な世界に心を開いていく必要があります。
 
理屈理論が間違っていると一刀両断にするつもりはありません。それはそれで1つの真実だとも言えます。ただ、「それだけでは」浅いのではないでしょうか?
 
違う自分になるのではなく、すでにパーフェクトである自分を思い出す。外との接触を利用して内へ内へと探求を進めていく。本当の自分を思い出す旅。それが成長です。
 
私達は霊的な存在なのです。つまり、すでにパーフェクト(笑)。それならば、あとは思い出すだけです。
 
目覚まし時計が鳴ってますよ~。アセンションの時間ですよ~。目を覚まして下さ~い。
 
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