アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

「進化」と「目覚め」の大きな違い

私たちは「進化」しているのでしょうか?それとも「目覚め(覚醒)」しているのでしょうか?
 
どっちでも一緒じゃないの?何か違うの?と思われるかもしれませんが、実はこの違いは押さえておきたい大きな違いであるのです。
 
例えば進化とは、下(0:無)からスタートし上(次の数字)へ向かう事だとします。
しかし目覚めとは、上(100:神)からスタートして一度下(0:神から最も遠い波動)まで行き、そこからまた上(100:神)へと戻る事だと思います。
 
つまり、10まで来た時に、進化であればまた新境地へと進んだことになり、画期的な事であり大満足な訳です。0から順に進化を積み重ね、ようやく10まで来たのですから感慨もひとしおでしょう。
 
しかし、これがもし目覚めなら、例え10まで到達したとしてもそれはそれで、その目覚めの過程というものには味わい深いものがあり疑いようのない魂の財産なのですが、先はまだまだ長い遥かに上を目指していくべきその過程にあるのです。
 
私たちは人間は「無」から偶然によって始まり、ここまで進化してきたと教えられてきました。「無」からスタートしたという事は、その人間の存在には意味がなく、自分たちが勝手がってに決めれば、それが存在意義であるという事になってしまっています。
 
だから、戦争も犯罪も無くなりません。
 
私たちは「進化」というとんでもない誤解によって、その本来の「神にはじまる存在」であることを封印されてきてしまったのです。だから、たった10のステージで自分たちを進化の頂点にいるのだと誤解し、それ以上上のステージはちょっとやそっとでは現れないと思い込んでしまっているのです。
 
しかし、私たちは進化している訳ではないのです。「目覚め」ているのです。
 
パーフェクトな存在からはじまり、そこから遠く低い波動まで変化して、上へ上へとパーフェクトな存在へと目覚め戻っていくその過程を体験しているのです。10なんていうステージはまだまだ全然100の光からは遠く離れた、存在なのです。まだまだ、どんどんと覚醒していく道は続いているのです。
 
宇宙とは、ただあるものが真理に沿って存在しているのみなのです。真理はどこにでもすべての場所に存在し、私たちはそれに気づき目覚めるだけなのです。
 
この宇宙に、無いものを新しく創造することは不可能なのです。本来あるものに、ようやく私たちが気づき目覚めたというのが本当のところなのです。
 
では、私たちは100の神からはじまり、その中をただ堂々巡りしているだけなのか?
 
実は、それがそうではないのです。パーフェクトである神は、私たちのように仮性的に神から分離した存在を自らの内に創造し、パーフェクトな自分自身をあらゆる角度から体験することによって、100から101へ、101から102へと進化しているのです。これこそが進化です。
 
栄えている状態から、より栄えている状態へと進化を繰り返す。それを弥栄(やさか)といいます。つまり神です。
 
「神よ」をヘブライ語で言うと「ヤーサカ」というそうです。ここにも日本と古代イスラエルの深いつながりがうかがえます。オモシロいですね。
 
イメージ 1
 
 
 
↑ いつもクリックをありがとうございます。これからも読み終わりましたら、より多くの人にブログを読んでもらうためにブログランキングへ反映されるための1クリックをよろしくお願いします。