アセンションの時代

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瞑想とは

今さらながら、瞑想って何だと思いますか?
 
胡坐をかいて手を組み、目を瞑って、心を無にする。
 
一般的にはそんなイメージでしょうか?
 
でも、私の場合はあまりそうとも言えません。特に心を無にする気はぜんぜんありません。(笑)
 
私の瞑想を簡単に言えば、「五感を封印する」という事になります。
 
五感って何でしたっけ?視覚・聴覚・嗅覚・触覚とあとは味覚かな?言ってみればこの次元の感覚を無くすという事になると思います。
 
心を無にしようとは思わないんですね。だって、心が無になったら存在する意味無いし~。(笑)
 
ただ、思考はほぼ停止した状態で、感覚の世界を模索するのです。五感とは異なる感覚の世界、それを私は「気」の世界と表現しています。
 
気の世界の拡大が著しいです。メンタルな好不調は、気の感覚と連動します。激しい不調では、気の感覚が解らなくなってしまいます。気が雲散霧消してしまう感じです。
 
今まではその連動性もあまり感じられなかったのですが、今では日常的に感覚が強くなっているために、その連動性がそのまんまにわかります。
 
そして、気が雲散霧消してしまったら、意識的に気を強めることによってその安定を取り戻し、それによってメンタル的な不安定を立て直すことが出来るようになってきました。
 
つまり、これまではメンタルが気を動かしていたのですが、逆に気でメンタルを回復させることが出来るようになってきたみたいです。
 
ヤパイ、ピンチ、絶望的!となると、気の感覚が消え去ります。そうなると、普通の状態では気が感じられなくなるので、その場の状況に合わせて格好にはこだわらずに瞑想(仮で心を落ち着けて、気に集中する)して気の感覚を呼び戻して立て直すのです。
 
そうすると、不思議や不思議。腹の底の不安やストレスが消えるんです。何をアタフタしてるんだ?そんなに騒ぐほどの問題じゃないだろうって。
 
感じるものや感じ方は人それぞれの千差万別であり、比較するものではないと思います。気に限らず、今の世界を色々な感じ方でそれぞれが受け取っていくことだろうと思いますが、五感以外の感覚で世界を感じていくという意味から、五感を封印して感覚を模索する瞑想はなかなか面白く意味のあることだと思います。
 
私は「気」を感じ始めていますが、人によっては「チャネリング(テレパシー)」であったり、「千里眼(霊視)」であったりと、色々な可能性があると思います。そういう意味からも、比較に意味は無いんですね。
 
自分の立ち位置から、自分にあったものを感じ始めれば良いのです。
 
その入りやすい入り口の一つが瞑想だと思っています。
 
↓ よろしくね~。
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