アセンションの時代

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次元間を彷徨う

1日の睡眠を、まとめて8時間半取ると言うあり方から、時間を分散させて取るように変えはじめてから、睡眠前後の瞑想的な状態の中での変化が加速を早めています。

そうした睡眠前後の状態は、単純に、2回に分けて睡眠をとれば2倍、3回に分ければ3倍となり、エネルギー的な体験の機会を増やす事が出来ます。

まだ、そうしたサイクルは模索中であり、型となるリズムは出来上がっていないのですが、夜に4時間、朝方に2時間寝て、午後眠くなれば1時間の昼寝を取ると言うリズムが自分に合っているような手ごたえがあります。

夜中には1時半頃に起きる事になるのですが、目覚ましは使っておらず、自然にその時間に目が覚めます。

今朝の朝方の睡眠の際には、これまでに経験の無い事があり、物理次元・夢の次元・高次元の境で揺らいでいたような経験でした。

始めに、寝ている状態で強いエネルギーに捉われた状態から意識が目覚めました。

部屋の中で子供と並んで寝ているのですが、その時、ひたすら考え続けたのが「これは現実か?夢か?」と言う事です。意識は完全に目覚めているのですが、それが現実なのか夢なのかの区別がつかないのです。

そして、自分が寝ている場所がどこなのかを思い出せないのです。「現実か?夢か?。ここはどこだったか?」と、ハッキリした意識の中で考えるのですが、どうしても分かりません。(実際にはそれは、夢の中でした。)

その内にもエネルギー感覚は高まり続け、部屋の所々に赤っぽい暗めの光がランダムに点滅するのを感じ、人の声の様なものが聞こえたりして来ました。何を言っているのかは解りません。

状況としてはかなり不安を感じる状況でしたが、意識がハッキリとしているために、これはエネルギー的な経験の中にあるのだから、恐れなくても大丈夫だと自分に言い聞かせていました。

今は、ハッキリとその切り替わりを覚えていないのですが、その内に、意識が異なる空間に抜け出しました。

平らな地面と、平らな壁があり、壁の手前で3人くらいの親子がパラソルの下で寛いでいました。映像は大雑把に捉えている感じで、細部までハッキリと捉える事は出来ず、パラソルがあったかどうかなどの記憶も少し曖昧です。

その空間に抜け出ると、それまでとはまるで違う、ホッと安心するような温かな雰囲気が感じられました。それは、親子と言う絵的な理由によるものではなく、その空間そのものが安心感のあるものでした。

色も感じられ、全体に黄色っぽい感じでした。

近づいて話しがしたかったのですが、15メートルくらい離れているところから映像としてしか捉えられませんでした。

それを良く見ようとしている内に、意識が物質的な現実の中に戻り始めました。それでも、意識をそのエネルギー的な世界に向けることで、しばらくは現実の部屋の雰囲気を感じながらも、その映像を捉え続ける事が出来ました。

そして、映像は見えなくなって行ったのですが、感覚はそれからもしばらくエネルギー体としての感覚を強く残した状態を続ける事が出来ました。

多分、これは直ぐに忘れてしまうだろうから、シッカリと意識的に覚えておこうと記憶に刻みつけ、今になってその記憶を書いています。

そう言えば、そうした事が起こる前にも、エネルギー的に捉えた視野の狭い映像の世界で、室内を進んでいく事が出来ていました。

これまでは映像は捉えても、進んでいくと言う事が出来なかったのですが、今回は少しだけですがそれが出来ていたようです。そして、それと関係がある様な気がするのですが、その時に、とてもリアルに空間的な感覚を感じる事が出来ました。

空間的な感覚と言うのは、最近になって捉えられると言うか生み出せるようになってきたのですが、夢との決定的な相違点であると言える点なのです。

最近、少しずつ読んでいる「セス」の本に書いてあったことが、そうしてエネルギー的な世界を捉える上での意識の置きかたに、とても役に立っています。

私達と言うのは、途切れる事無くこの物質世界に存在しているのではなく、瞬間的な明滅を繰り返し、物質世界とエネルギー世界の両方に、並行的に存在していると言うのです。

つまり、これを波に例えると、波の片方に寄った時に物質世界を捉え、もう片方に寄った時にエネルギー世界を捉えているのですが、その切り換わりあまりにも早いために、私達は波のピークとピークが繋がっている様に感じられ、ずっと物質世界にいる様に感じられるのです。

バシャールも、私達はとても速いコマ送りの様な状態の中で、この物質的な現実を連続的に錯覚しているのだと言っています。

それが、セスのメッセージによって、エネルギー世界でも同じように同時に起こっているのだと言う事を知ったのです。

それで、私が捉えているエネルギー感覚と言うのが、そうしたものであると言う事に気づいたんですね。

それによって、エネルギー感覚を意識的に捉える時に、意識の置き方が変化してきているのです。

無いエネルギーを生み出すのではなくて、既にあるエネルギーを意識の中に捉えると言うイメージが、これまで以上に明確になって来たのです。

物質・エネルギー・意識の関係が、これまでとの比較においては、少しずつ分ってきているような気がします。

もちろん、高次元から見れば、それはまったく理解できていない状態に等しいと言えるのですが、取り合えず、理解を進めていくための端緒となるものに、少しだけ触れ始めているような気はします。



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