Q アセンションに貢献するには
内緒さんと、わいきさんに頂いたテーマで、1つの記事を書いてみたいと思います。
まず1つは、日常生活の中でアセンションに貢献していくには。
もう1つは、無気力なニートの人たちが増えているスピリチュアル的な背景はという事です。
まず、無気力な人が増えているという方から考えて見ましょう。
私達の社会は競争に基づいており、幼い頃からその競争社会に適応して行ける様に、あらゆる事について競争を強いられて育てられています。
学校のテストや運動、何でも順位をつけて出来る子と出来ない子を決めるのです。そして、出来ないと大人になって困ると脅して、競争することを迫るのです。
これまでは、そうした強制に殆どの人々が従うことが出来ていたのですが、人々の波動が上昇するに従って、どうしてもそれに従うことに強い抵抗感が生まれ、そうした競争に参加することが出来ない人々が増加して行くのです。
人々の波動が上昇すれば、低い波動の社会システムに適応できなくなるという事は、ごく自然な流れなのです。
その先に、自分のワクワクを見つけ出して、前へ進んでいく人もいますし、それをうまく見つけ出せずに社会の常識との狭間を漂っているような状態の人たちもいます。
無気力なニートの人が増えているというのは、競争社会を持続させる上ではネガティブな要素となりますが、スピリチュアル的には別にそんな事は無いと思います。
例えばこれから先、金融経済が崩壊をした時、ニートの人たちは損得を考えずに、単純にみんなのために動ける可能性の高い人たちなのです。
しかし、競争社会で成功した勝者、つまり出世した人たちが偉ぶることなく損得を考えずにみんなのために動けるでしょうか?
それらはいずれも、結局は個人個人の問題で、一概にどうと言えるものではありませんが、人の価値というかスピリチュアル性というのは、競争社会で勝った負けたとは何の関係もないのです。
そして、次のテーマに移ります。日常生活の中で、アセンションに貢献するにはという事ですね。
アセンションに貢献と言っても、特別な事はないんですね。
まず、アセンションというイベントの主体は「自分」だという事を理解してください。
これまでの常識の延長で考えると、この物質的な世界で、みんなが一緒にアセンションすると考えられる傾向にあるのですが、物質と言うのは幻想であって、世界はエネルギー的なんですね。
どの程度、多次元的な世界の仕組みを理解してきているかにもよりますが、これだけの説明では、人によってはますます混乱してしまうかも知れませんね。
自分を犠牲にして社会のためにとか言うのは違うんですね。ワクワクしていない人が社会をワクワクさせる事なんて出来ないし、調和的でない人が社会に調和を広げることなんて出来ないのです。
つまり、自分がワクワクして調和的である事が、自分のためでもあり、社会のためでもあるのです。自分と社会は一体なんですね。
一言で調和と言っても、それはあらゆる場面に表す事の出来るもので、そうしたものが自然に理解でき行動として表現していけるといいですよね。
私達には分離的な習慣が染み込んでいるので、当たり前の事って、意外と分離的な性質のものであったりするんですよね。
このブログでも時々書きますが、台所で食器を洗うとき、洗剤を使う人が多いですよね。あれって、テレビCMで植え付けられたマインドコントロールの影響なんですね。
つまり、洗剤を使わないと食器は綺麗にならないという。ところが、動物性の脂以外は、水で「簡単に」綺麗になるものなのです。私達は洗剤を無駄に使うことで、手は荒れ、ハンドクリームが必要になるんですね。
完全に金儲け社会に組み込まれているのです。
ところがそれに気づいて洗剤の使用を控えれば、地球の自然とも調和的になりますし、自分の手とも調和的になります。ハンドクリームが必要なくなることで、さらに調和的効果が社会に波及します。
肉食を控えていけば、洗剤はまったく必要なくなりますし、動物たちとも調和的な関係を築けます。家畜の動物が減っていけば、やはり自然との調和が促進されることになります。
それでは景気が悪くなる!というのは3次元的な発想で、それは、景気を良くするために自然を破壊し、健康を害し、好景気で社会的支配者(世界的な株主達)へ利益(配当)をまわし続けろという事なんですね。
そんな戯言に耳を傾ける必要はありませんよね。私達は私達で、そうしてあらゆる日常に調和を浸透させていきましょう。
これから、社会システムは崩壊を始めますが、生活が不自由になる中で、競争を加速させる人たちと、競争からはなれて調和(助け合い)する人たちとが出てきます。
むやみやたらに自分の持っているものを振りまくのが調和ではなく、バランスを取りながら、お互いに依存する事の無いように調和的な関係を周囲に育てていけると良いと思います。
それから、ワクワクを楽しむこと。それは、人との競争によってエゴを楽しませるのではなく、音との調和(音楽)、色彩との調和(絵画)、自然との調和(自然の中での運動等)など、世界と調和する事を楽しんでいけるといいかも知れませんね。