アセンションの時代

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お金について

「お金(紙幣)」と言うのは、言ってみれば中央銀行が印刷所に印刷させた紙切れの事を言います。ただ、現在ではコンピューター上での取引が多くなっているために、そこに数字を打ち込むだけで電子的な数字としてお金が生み出されているのだと思います。

昔は、金本位制と言って、そうして発行されるお金には、金(ゴールド)と言う裏づけが確保されていました。つまり、1万円あれば必ずゴールド何グラムと交換してもらえると言うように。

さらにそれより昔は、金や銀の現物その物が小判となってお金の役割を果たしていました。

つまり、始めはお金とは金貨や銀貨であったのですが、それをいちいち持ち運ぶのは色々と不便があるために、それを担保とした証書(兌換券)をお金として使うようになり、さらには担保となる金銀が不足してきたために、何の担保も無い紙切れ(紙幣)をお金として使うようになったのです。

今のお金と言うのは、何の担保も無い紙切れであるために、一度安定が損なわれると、本当に紙切れとなってしまう事がありえるのです。

それが、ハイパーインフレーションと言われるものです。

これまで紙切れに1万円などと言う、本来あり得ない価値が付けられていたのですが、その価値が急激に下がっていくのです。

つまり、価値が半分になれば、いままで1万円で買えていた物が、2万円を出さないと変えなくなります。それがどこまでも進んでいくと、パンやお米を買うのにも札束がいくつも必要になると言う事です。

例えば、昨年2016年の実績を見ても、ベネズエラ南スーダンでは、お金の価値が1年で軽く半分以下になっています。

世界の国々は、1971年のニクソンショック以降、担保の無い紙切れとして、凄まじい勢いで世界にお金をばら撒いて来ました。

担保は必要なく、印刷すればいいだけですから、節操が無いんですね。

政治家は、自分が任期の間はいい顔をしたくて、借金を積み上げて浪費を続けますよね。次の政治かも、次の政治かも。そして、国民もそれを求めて来たのです。

その借金証書である国債を買ってくれる人が無くなれば、中央銀行がお金を作ればどれだけでも買ってもらえる訳ですし。実際に今は、それをしているんですね。

お金が無ければ刷ればよい♪

だけど、経済が停滞しているのに、お金ばかり無節操に作り出しているのですから、物とお金のバランスが崩れて行きますよね。

今はみんながお金を信じて貯金している(使っていない)からいいのですが、みんなが「ヤバイ」と感じてお金を物に変えよう(使おう)と思った瞬間に、ハイパーインフレというやつが始まるんですね。

実際には、預金封鎖などで政府が対応するので、瞬間的に崩壊する訳ではないのですが、既に物とお金のバランスが崩れているのですから、結局はインフレで帳尻を合わせないとどうしようもないのです。

つまり、お金の価値を、物とのバランスが取れるところまで下げると言う事です。

ただ、こうした知識によって対策をすると言うのも、ある程度は役に立つでしょうが、結局はそれで逃げ切れると言うものではないんですね。

スピリチュアル的な観点から言えば、こうした混乱の中に自ら飛び込んでいくと言う対応を取るのはちょっと違うんですね。

私達の馴染んできた「マインド」からすれば、「ならば、どうすればいい?お金をどうやって守ったらいい?」と言う話になり、それもある程度は備えるに越した事はないのですが、それは本題ではないんですね。

そうした混乱と言うのは、私達(自分)の意識が、3次元の現実から4次元の現実へと移行していく過程で起こっている切り替え作業なのです。

この切り替えをスムーズに進めるためにはどうしたら良いでしょうか?

自分のお金を守り資産を守り、何とか自分や家族だけは生き残れるように他の人たちと競争した方が良いでしょうか?

それとも、自分の住む地域全体として、自分に出来る事や備えられる事に取り組んでいく方が良いでしょうか?

実際問題、それは各自の判断で選びたいものを選べばいいんですね。それは、良いとか悪いとかと言うものではないのです。

ただ、行動が異なれば、結果が異なってくる事は当たり前ですよね。つまり、自分の選択が、自分の未来を引き寄せる事になるのです。

過去・現在・未来と言うのは、そうして「今」の中で1つに繋がって存在しているんですね。



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