アセンションの時代

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「利息の罠」と「未来への指針」

お金を借りれば利息を払う。これがいつの時代も変わることのない、世界の常識だと思っていませんか?
実はこの“利息”と“土地の所有制度”に、現在表出されている金融システムの歪みが凝縮されているのです。
 
ウォール街からはじまり世界へと広がっている、極端な富の偏り、つまり「富める者はますます富み、貧しき者は奪われる」というシステムは、この2点を発端としているのです。
 
ミヒャエル・エンデをご存じですか?ドイツの児童文学作家で「モモ」の作者だと言えばご存じの方も多いのではないでしょうか?彼はこの金融システムの問題をとても強く憂いていました。死の前年にNHKの取材に応じたものをもとにして「エンデの遺言」という番組が作成され、同名タイトルで書籍かもされています。
 
利息というものの本質を、歯に衣を着せずに言ってしまえば「貧しき者が、富める者へと富を移す」システムです。
お金が無いからお金を借りるのです。
お金が有るからお金を貸すのです。
そして、無いものから有るものへと富が移動されます。
 
土地についても似たものがあります。「貧しき者から富める者へと富を移す」システムです。
土地(富)が無いから借ります。
土地(富)が有るから貸します。
そして、地代(富)が富める者から貧しき者へと移されます。
 
お金と土地。この2つが特別であるのには理由があります。それは、時間の経過に対して「価値が減価することが無いのです」。
 
商品を持っていれば、商品は劣化します。貸家であっても当然劣化します。しかし、お金と土地は価値が劣化しないのです。そして、一度なにかの拍子にこれらを多く所有することが出来れば、後は上に書いたように金利と地代というシステムを通して、富める者として貧しき者からお金を吸い上げ続ける事が出来るのです。
 
では、金融システムとは利息無しには語ることが出来ないのでしょうか?いえいえ、決してそんなことはありません。
 
イスラム教においては、利息のそういった問題を宗教としてしっかりと理解しており、宗教上の教えとして利息を取ることが禁じられています。そして、イスラム金融という独自の金融システムを育てています。まだ、詳しくは知らないのですが、利息が禁じられているため銀行は貸し出しに対して、契約に基づき利益を受け取ることが出来るようです。つまり、配当の様な仕組みではないかと思います。他にも色々収入の仕組みが考え出されているようです。
 
他には共産主義もありますが、これは既に明らかなように人間の本能的欲求に反するものがあると思われます。
 
これを100年前に強く訴えた人がいました。「エンデの遺言」の中でも紹介されているドイツのシルビオ・ゲゼルです。彼はその著作である「自然的経済秩序」の中で、それらの問題を分かりやすく説明しています。
 
では、なぜその様な重大な問題が指摘されていながら、それを無視して富が偏るような問題を抱えたシステムが採用されてきたのか?これについては、ゲゼルも指摘しています。富が偏ることを望んだ人々によるコントロールがあったのです。
 
既に富んでいる者は、ますます富むことを望みます。所有する財の力を削がれて、富が広く分配される事を望んだりはしません。
 
ゲゼルによれば、共産主義を育てたのさえもそれらの富める者達であったようです。彼らは共産主義の問題点を既に理解しており、それを安全な張りぼての敵として、大衆向けのダミーとして育てたと考えられるのです。しかし、危険な敵と認識されたゲゼルの「自然的経済秩序」は黙殺され、無視されることになりました。
 
ぶっちゃけて言ってしまえば、富める者とはロスチャイルド家。その後、覇権はロックフェラー家に移るわけですが、今までこの両家が世界を牛耳り、富める者のためのシステムを維持してきました。
 
しかし、この両家はそれぞれに内部分裂を起こしており、その主要人物達にも高齢化の波が押し寄せております。後継者も思ったように育ってはおらず、滅び行く運命にあるようです。
 
しかし、末期状態とは言え、いまだに世界を動かしているのはこの両家の力です。
 
それでもこの「富める者のためのシステム」は、内部的には既にかなりの崩壊を起こしており、1~2年の内にも名実共に完全なる崩壊状態に陥るでしょう。
 
そこで大切になってくるのが「次なる社会秩序の在り方」です。
 
私は必ず金融システムにおいては、シルビオ・ゲゼルやイスラム金融などの考え方が見直されることになると思っています。
 
そのための布石として、あるいは移行の第一歩として考えられるのが「マイナス金利」だと思っています。言い方を変えれば「預金税」のようなものです。これによって国家収入を大きく改善することが出来ます。また、預金を避けたお金が物へと流れれば、大きな経済対策にもなります。
 
政府はこの手法も効果も認識しているはずです。数年前に政府関係の研究会で検討され報告書も取りまとめられているはずです。
 
相続税の強化にも同じような効果が期待できます。
 
そして、将来的には個人財産に上限を設定する必要もあると思います。1億2億ならともかく、個人が100億も1000億も持つ必要がありますか?そういった社会に対して毒にならならずに、それを持っていたいのなら持っていても良いのですが、いま明らかになってきたように、そういった富の極端な偏りは社会システムに大きな悪影響を与えるのです。
 
さあ、未来は明るい。
 
ただ、そこへ辿り着くまでの混乱が強く危惧されます。金融システムという視点から考えるときに、金の百合(天皇の金塊)が表に出てくるのかどうかという事にも興味がありますが、個人的には「金は食べられない」という事実を人類は思い知らされる可能性も否定できないと思っています。
 
人は食べ物を食べれば生きていけますが、金を抱えていても生きてはいけません。
 
そういう意味において私は貴金属よりも穀物だと思っています。
 
今はともかくとしても今後に社会危機が発生した際には、金本位制よりは米本位制だと思います。地域(市町村など)単位で米の兌換券を流通させ、国あるいは都道府県などが地域間の調整をするような仕組みで食料の流通を止めないことが決定的に重要な事になると思います。