アセンションの時代

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3次元ドラマに囚われない

自分では、自分なりにはかなりいい感じで波動を上昇させてきているのではないかと感じていたのですが・・・、まだ、何かが違うんですねぇ。

今、外壁塗装をお願いしているのですが、その中で細かなミスやかなり大きなミスが飛び出してきたりして、悶々と解消しかねている自分をどの様にコントロールする事がより良いのか思いあぐねています。

悶々としていると言うのは、自分の中の低い波動が現象世界に触れて浮かび上がってきていると言う事であり、自分の中に洗い流すべき低波動がある事を意味しています。

この現象世界の常識から言えば、完全に相手に非があるのですが、相手は塗装のプロでも営業の素人なんですね。

さて、そこで私自身が、そうしたホログラム的3次元現実の世界において、そうしたドラマに飲み込まれずに、どのように波動を高く保ったら良いかと言うことが、私の課題なのだと思います。

テーマは、相手をやっつけて、ボードごと取り替えさせたり、いくら値引きさせられるかと頑張る事ではないんですね。

かと言って、自分が我慢してストレスをためたりと、自分を押さえ込んでやり過ごして波風を立てないのが良いというものでもないのだと思います。

先日の記事に書いたような事で、うまく治まるかと思ったのですが、親も含めた相手の対応も逃げ腰で、自分自身もどうもスッキリしないんですね。

で、取りあえず実際に作業している二人を読んで、怒らずにこちらの気持ちの推移と思っている事を伝えたんですね。

まあ、戻らないものは戻らないし。しかし、言っても「ごめんなさい」と言うよりは「困った」という反応が強くて、何か違うんだけど面倒くさいからもういいや、と言った感じです。

それ以上の相手の問題は相手の事なので、もうそれ以上は指摘したり関わったりするつもりはありませんが、自分の悶々とした気持ちは自分のものであり、このドラマに共鳴して自分の中から呼び起こされたその低波動は、洗い流しておかなければならないと思うのです。

まあ、結論として言えば、3次元ホログラムのドラマに囚われて、家の玄関に着いた1本の傷ごときに振り回される必要などないと言う事です。

大切なのは、ホログラムドラマ内での問題ではなく、自らの波動でありエネルギー的に感じる世界のトータルバランス(調和)なのだと言う事です。

つまり、3次元ドラマに苛立つこと自体がバカバカしいのです。

例えば、私はここ数年、エネルギー世界の事に興味を強めている一方で、3次元ドラマとしての娯楽、例えば小説やスポーツ観戦等に対する興味が綺麗に無くなって来ているのです。

そうした流れの延長が、今回ここで、1つの決定的な世界観として確認されたような気がします。

この物質世界を経験している訳ですから、それがどうでも良いという意味ではなくて、物質世界を経験する上で優先するものが大きく入れ替わってきていると言う事です。

物質的なものは、所詮は経験を生み出すための種としてのホログラムであり、「物を手に入れたり失ったり、あるいは傷つけたりと言う事」は、これまでの最優先事項という位置から大きく退く事になります。

それよりも大切なのは、その世界を生み出している自己のエネルギー状態です。自己のエネルギー状態とは、経験世界の(として感じる)全てと言い換えることも出来ます。

実際に、エネルギー感覚が世界を包み込んでいる感覚がとても強くなり始めています。

昨日もエネルギーを強く感じたくて、伊良湖岬へ行ってきました。

自分のエネルギー状態から言って、今は木に囲まれた神社や山道よりも、開けた海辺の方が良い状態になってきています。

つまり、エネルギーが大きくなってきていると言う事です。エネルギーが弱い状態ですと、海辺などより、木々などに囲まれた空間の方が、自分のエネルギーを感じやすいのです。

知っている場所で、比較的近い場所であったのですが、あらためて気付いて行ってみると、思っていた以上にエネルギーを感じるのに適した場所でした。

さて、今日も行って来ようかなぁ。(笑)



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