アセンションの時代

2019年4月以降の主な更新はhttps://sunamibaku.blogspot.com/へ移転してます。

瞑想 ~嗜好品と気について~

昨夜は、久しぶりにそこそこ飲んでしまいました。帰ってきてから、酔っぱらいながら瞑想をしてみたのですが、ダメですね、全然ダメです、最悪でした。
 
瞑想して気に集中したとたんに、方向感覚ゼロです。上も下も全く解らない無重力感の中で、猛烈に気持ち悪くなってすぐに止めました。
 
酔っぱらいの思いつきで、瞑想で酔いを覚ましてみようと思ったのですがダメでした。(笑
 
そして一晩寝て、朝に軽い二日酔いの状態で瞑想をしてみました。すると、以前もそう感じていたのですが、気の感じ方が普段より強く感じられるんです。
 
さらに言うのであれば、一晩おかなくても多少のアルコールや、さらにはコーヒー等を飲んだ場合も「気」の感じ方が増す様な気がしています。
 
「タイムウェーブゼロ理論」のテレンス・マッケンナ氏は、幻覚性の強いキノコを利用して感覚を異次元へ飛ばすという手法を利用していたという事です。それは、アマゾン流域に住むインディオシャーマン達も使っている手法のようです。
 
もちろん、アルコールやカフェインにはそこまでの作用はありませんが、微かではありますがそういったものがあるのかとも思って書いてみました。
 
ただ、それはあまり関心を持って活用するようなものではないと思っています。アルコール自体が本来はあまりとらない方が良いと思っていますし、それはちょっとした技術上の話しであり、本質的なものではないからです。
 
うまく表現できませんが、それは自分の波動を引き出すための問題であり、自分の波動を上昇させるためのものではないという事です。
 
瞑想というか、気を感じる技術的なものとしては色々なものがあげられます。
 
例えば上に上げた幻覚キノコ、さらには何と言うのか知りませんが密教等で用いる手に持つ道具アトランティスでは特に重宝されていたとされる水晶などの石。さらには場所的な事から言うのであれば長野県分杭峠などで有名なゼロ地場の場所や、大きな活断層の上など。
 
しかし、これらはどれも波動を感じるというか引き出すためのものであり、波動を上げるためのものではないように思うのです。この辺の考え方については、自分自身の頭の中でもうまく整理できておらずにあやふやなまま記事を書いていますので違っているかもしれませんが・・・。
 
確か「ハトホルの書」というチャネリング情報の本に「気」についての事が結構書かれていたような気がするのですが、そこに水晶などの物にあまり囚われない方が良いというふうに書かれていたような記憶があります。
 
それは気を引き出すための補助的な道具としてはそれなりに有効であるが、逆にその物に囚われてしまう可能性がありそれが良くないというような趣旨であったと思います。
 
本来、人間はすでに与えられている能力として、充分に気をコントロールする能力があるわけで、そのコツを思い出せば良いのです。ところが「今日は水晶がないから出来ない」という用になってしまう事はその能力を自ら封印してしまう事になる訳です。
 
長尾弘さんはそういう能力においてまさに超人的な人であったようですが、やはり道具などにはいっさい囚われてはいなかった用です。
 
そういう訳で、何事もそのもっとも本質的な目的を常に意識していれば、脇道にそれて学びとして効率の悪い人生をおくらなくてすむのかもしれません。目的と手段を見誤っている例というのが、多々あるように感じられますから。
 
ただ、実際には他人から見れば「効率の悪い」と感じられる学びの機会であっても当人にはもっとも「効率の良い」環境という事なのでしょうが。