アセンションの時代

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形式に囚われない

先日、自分の中で立直(社会的新システムの構築)に関するものとして、自分の仕事に関連して位置づけている動きをスタートさせるのに良いタイミングだと思えるような事がありました。
 
上司にあたる人たちから、立ち上げていく事業として何か無いかと振られたのです。とても大雑把な話しだけ出してみたのですが、ここで上げても思ったように機能していかない・何かやりました的なアピールに利用されるだけで、本質的な展開には繋がらないと感じたので、手のひら返して引っ込めました。
 
私の職場は公務員ではないのですが、それに近いものがあり、職場の雰囲気もお役所的な所があります。結果より「やりました」というアピールできるものが求められる雰囲気が内部にあるんですね。
 
「あーあ、せっかくのチャンスかもしれなかったのに。」と少し落ち込んでいました。今からでもその気にさえなれば、意見を出すことは出来るのですが、根本的にアピールに利用されるだけで自分の手元から離れてしまうという思いが強く、そんな気にはなれません。
 
これについて、さっき本を読んでいたらフッと気付いたのですが、例え本来の枠組みであっても自分に適さない組織的システムに囚われる必要はないと思ったのです。
 
自分に適さない小さな組織を相手にして、自分に適さないと確認するから力が抜けていくのです。しかし、よく考えてみたら、もう少し組織を広い範囲で捉えれば、必ずしも自分に適さないものばかりではなかったのです。
 
うまく運べば、自分の思うようにやらせてもらえる環境も、それに協力してくれる人も存在するのです。多分。
 
これまでは、まだ時期ではないのではないかと思って、ただ幅広い知識を求めて本を読んだり出かけたりしていましたが、先日そういうことがあって「時期が来たな」と思ったわけです。
 
でも、アピールに利用されるだけだと思い引っ込めたのですが、このまま言い訳を重ねて動かずじまいになってしまうんではないかという思いが自分の中にわき起こり、やっぱりそろそろ動くタイミングだと思い直したわけです。
 
でも、アピールに使われるだけではやってられない・・・と思い悩んでいて、視点を変える必要性に気付いたわけです。既存の形式が全てのあり方ではないのだと。
 
そもそもが、社会全般のシステムが機能しなくなってきている現在、それにこだわる必要はないのです。それは大きな社会システムに限ったものではなく、身近な職場の枠組みなどでも同様なのです。
 
柔軟に対応することです。適さないシステムを変更していくのには膨大な労力が必要とされ、その上でなおかつ変更は困難なものであります。
 
それは、基本的にそのシステムに組み込まれている人々は、そのシステムに染まりきっておりなかなか抜け出すことが出来ない。そして、それを変えようとする者を煩わしく感じるからです。
 
私はそうした努力をすることにはもう疲れていますので、そうした人たちを変えようとは思いません。
 
それよりも、自分の望む枠組みを近くの違うところにつくっていけば良いのです。それが、既存の利用可能なものであればなおさら事はスムーズに進みます。
 
そして、幸いにも私の周りには利用可能な既存の枠組みが存在しており、今回上司から求められた本筋とは違いますが、その上司達を迂回する形で違うところから発信していくことが出来ることに築いたのです。
 
上司にしてみれば、どこからどういう形で上がってこようと、何かアピール材料が上がってこれば良いわけですから文句はないでしょう。
 
柔軟さって、大切ですね。
 
結構自分は柔軟に考えているつもりでいても、その枠の外に気付いてそこから眺めてみると、やっぱりまだまだ自分の考えはガチガチに堅かったわけで・・・。
 
自分の常識の殻を破るって言うのは、こんな小さな事でもなかなか難しいものなんですね。