アセンションの時代

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宗教時代の終焉

少なくとも旧約聖書がまとめられて移行、これまでの時代は「宗教」の時代であったと言っても過言ではありません。
 
日本はある意味において一種独特な宗教との関わりを持ってきましたが、世界は「キリスト教」「イスラム教」「ユダヤ教」「仏教」などが社会の中心的な地位を占めてきました。
 
しかし、そうした宗教の時代もアセンションに伴い終焉を迎えるのではないかと思っています。
 
私の言う宗教とは「霊的な」という意味ではありません。「アップダウン的な関係」という意味です。
 
神様が偉く、地上では法王が偉く、神父が偉く、私達はそれに従う子羊であるという発想の時代は終わるという意味です。
 
自己を放棄し、他人の教えに盲目的に従う。なぜそうしなければならないのか解らないけれど、そう言われたからキチンと守らなければならない。そういう時代では次の時代へ進むことは出来ないであろうと思っています。
 
「自分で感じ」「自分で考える」。それが全てなのです。
 
様々な参考意見はどんどんと吸収していくべきですが、決定はその上に自分の経験と考えを加味して、自ら下さなければなりません。
 
自分の存在する世界においては、「自分で感じたもの」が全てなのです。それ以外には何も存在しないのです。
 
人の教えに従って、そのとおりに行動したところで、それは「真似」という経験にしかなりません。本当に深いところまで理解し、自分の考えとして納得してその教えを受け入れればそれは「自分の経験」となりますが、言われたことに従っているだけでは、その行為は「真似という行為」でしかありません。
 
例え瞑想が重要だと言われて瞑想をしても、真似ではダメなのです。自分に合った方法で、自分が感じるものを大切にしなくてはダメなのです。人の真似を追っていては、大切なものは感じられません。
 
私は気のコントロールも、瞑想の仕方も、全て自分独自の方法で進めてきています。
 
気功を教える本や動画を見ていると、オイオイッて思うことがとても多いです。初心者向けに手をこうやってとか、足をこう組んでなどと、物理的な形を色々と解説しているのですが、それは真似なんですね。そんな人の真似をしても、進歩が遅れこそすれ前進することはありえないと思うのです。
 
その教えが、ちょうど自分にあった段階のものであれば、それは参考にもなるでしょうし真似をして模索してみることも大切なのですが、自分の現状を無視して見た目の形や十分理解できていない考え方を真似してもそれは意味がないのです。
 
だから、気に入ったものを選んで、その教えに従う(真似する)事はやめた方が良いと思うのです。それをしっかりと自分の中で咀嚼して、自分の考えとしてから受け入れるべきなのです。表面的にはこの2つはまったく同じように見えるかもしれませんが、その実体はまったくことなる経験であり、その後の進歩にも決定的な差が生まれます。
 
そういう意味で、権威ある教えを盲目的に受け入れるのではなく、誰もが自分教の教祖となるのが未来の宗教像と言えるのかも知れません。
 
「自分の感じる経験」それが大切だと思います。人の真似は、うまくいっても真似でしかありません。
 
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