「イメージ」が持つ力
色々なもの、それは何も特別なものではなくありふれた日常を見たり感じたりする時に、これまでとは決定的に違うところから世界を眺め始めています。
これまでも、「バシャール」などを中心に色々な角度からより真理に近い世界観を掻い摘んで吸収してきていたわけですが、「シリウス革命」という本から得た「対化の等化」という発想と、自身の気の感覚の上昇拡大によって、蓄えてきた知識が現実感覚的に結合を始め、新しい世界へ自分が移行し始めているような感覚があります。
それは、先入観として持っている「アセンション」に刺激されて妄想が暴走していると考えることも出来るかも知れませんが、どうもそればかりでは無いような気がしています。
最近は特には瞑想の時などですが、肉体的な感覚よりもそれを上回って気の感覚に意識が向かっています。瞑想自体が五感を休ませるわけですから、肉体的な感覚を感じなくなるのは当たり前といえば当たり前なのですが、最近の特徴は、肉体の外側に自分の気を感じるんですね。
これまでは漠然とそれを感じていたのですが、昨夜からは積極的に手から出ている気を感じてみたり、今日は全身を包み込んでいる気を積極的に感じてみたりしています。
その様に感じることに意識を向け出して気がついたことは、「イメージ」する事が持つ想定外の力です。
これまで、気におけるイメージの持つ力などと考えるときには、イメージで気をつくり出すかのように集中して自然と力が入って力みがあったのですね。
その力みが生み出している発想の根源は、誤ったものであり、正解ではないとは常々感じていました。
それでも、強い気を感じようとするとどうしても力んでしまう傾向は続いてきました。
それは、主従関係でいうと、イメージは従の位置づけだったんですね。自分にコントロールされる気をイメージしていたんです。
でも、イメージを主に位置づけたとき、何の力みもなくよりうまく気が感じられたんですね。
結局、これまではまだまだ物理的な感覚の影響下で気を動かしていたんですね。だから、筋肉などが反応して力みとなっていたのです。
しかし、肉体に宿っている以上、肉体が全く関係ないとは思いませんが、基本的には気は肉体で動かすものではないんですよね。
それがわかりました。それを動かすのは「イメージ」の持つ力なんですね。
考えてみれば、「対化の等化」などの私の感じる世界観を私の思考に定着させているのも、実はイメージの力なんですね。
これからは、このイメージの力を積極的に利用することを学んでいこうと思います。
漠然とそれを利用しているのと、意識して積極的に利用するのとではかなり結果に違いが出てくると思うんですね。世界を感じ取る楽しみがどんどん増えていきます。たまりませんなぁ。(笑)
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