アセンションの時代

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思考領域の拡大

うまく表現できないのですが、思考が拡大しているような感覚があります。
 
一般的にこれを解釈すると、思考の拡大であり、考えの幅が広がったというように受け取られると思うのですが、実はそういう意味ではないのです。
 
正確にはそういう意味も含まれるのかも知れませんが、私がいま伝えようとしているのは思考そのものではなく、思考する感覚領域の拡大という意味です。
 
一般的には人の思考は物理的脳内で行われているというイメージがあると思います。実際に脳が思考に深い関わりを持っていることは、間違いないのだろうと思います。
 
ただ、肉体・脳が死んだ後も思考は継続していくのであれば、思考は肉体生命において脳と深い関わりを持ってはいるものの、その脳内で完結するものではないということは明白です。
 
人間は、実際には多次元的な存在であり、肉体をこの次元の身体とするならば、上の次元にも身体を持ちそれらが深く繋がりあって機能していると思うのです。
 
その身体の特徴を表現する言葉として「エーテル体」「気」「魂」などの言葉があると思います。
 
実際にそうなのかどうか?単なる妄想なのか?一時的な錯覚なのか?それは解りません。ただ、感じていることだけを書いてみます。
 
これまで物理的な脳を思考領域の枠として機能させていたと思うのですが、その枠が開いて、エーテル的な脳を思考領域とし出したような感じです。
 
昔のマンガの絵に、泥棒が大風呂敷にお宝を包み込んで肩口に担いでコッソリと逃げていく絵がよくありましたよね。その大風呂敷の領域がもう一つの肉体(エーテル体・気)の思考領域としての脳の位置にあるような感じなのです。
 
それで何が変わったという事は無いんですけれどね。(笑)
 
そう言えば今朝、気功療法の昔の薄い本を読みかけたのですが、以前同じものを読みかけたときには身体的な動作だけで気の動きがしっかりと感じられていなかったのでシックリとこずに読むのをヤメタのですが、今読むと気の感覚や他からの知識などとリンクして何が言いたいのかが良く解りました。
 
「対化の等化」「パラレルワールド」「気の感覚の拡大強化」「思考領域の拡大」など、自己世界の変化が激しくて、1つのまとまった世界観にすんなりと収まりかねる時がありますが、無理に思考で押さえ込む必要は無いと思っています。そもそもがそんなことは不可能ですから。
 
それよりも、そうした変わりゆく自己世界を楽しみながら味わっていきたいと思います。
 
今日書いた思考領域の拡大は、これを書く直前に起こって、ちょっと思考感覚的につまずいたような感じがあって、その感覚を確認してみたら、はいそれで思考領域が拡大しました見たいな感じなんですね。
 
もしかしたら、伏線は昨日の昼休みにあったのかも知れません。木々を見上げていて、何かいつもと違う感覚がありましたから。
 
積み重ねとして、色々な思考や感覚はもちろんそれ以前にあるわけですが、実際にそれが現れるとき何て言うのは、こんな感じでパッと切り替わることも時々ありますね。
 
思考・感覚(五感意外)・身体とあるとすると、これまで身体に与えてきた比重というのがとても大きいと思うのです。しかし、今ではその比重はガラリと変わっています。
 
(笑)
 
いま、少し歩いたのですが、バランスが凄く良くなりました。(笑)
 
これまで、光と意識の「対化の等化」を意識しだして以来、自分の意識・感覚の比重が前方に傾いていたんですね。
 
それが今、歩いてみたら後ろに思考領域が広がったことによって、バツグンにバランスが良くなっています。
 
笑える。これは、オモシロイですは。(笑)