アセンションの時代

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瞑想

今朝、アイシャ・ノースの呼びかけている瞑想の時間にあわせて瞑想をしました。
 
そうしたら・・・、背中が痛くなりました。(笑)
 
みぞおちの右下辺りの背中側です。子供が右側に寝ながら引っ付いていたので、変なバランスであぐらをかいていたのかも知れません。
 
ひどい痛みではないのですが、うずくようなストレスを感じる嫌な感じです。
 
まあ、放っておけば直るでしょうが。
 
瞑想では、光を感じる事に意識を集中してみました。
 
私はこれまで瞑想と言えば、気の感覚を持って意識を集中していました。
 
従って、気を感じない状態から感じより強く感じるまで、瞑想で意識を集中していた時には、1時間くらいの瞑想では物足りないくらいに感じていました。
 
しかし、今では瞑想をしなくても、常の状態から強く気を感じているので、時間・回数ともにあまり瞑想をしなくなっていました。
 
代わりに増えたのが森林浴です。
 
しかし、今朝の瞑想では気の感覚では無く、「光」に意識を集中してみました。チャネリング情報の中にそういうことが書かれていたからです。「光」をどう解釈するかという問題もありますが、取りあえず単純に灯りとしての「光」を意識してみました。
 
暗闇の中で目をつむっているのですが、見えるのは暗闇ではありません。しかし、何が見えるかと言われれば、別に何が見えるという程のものは殆ど見えません。
 
ぼやけた砂嵐(テレビの)が見えているような感じです。
 
しかし、しばらくすると、青~紺くらいの色の揺らめきが見えてきます。これは昔から見えるもので、特に真新しいものではありませんが、今日はそれがよりクッキリと見えてきました。
 
そして、その穴の中にどんどん吸い込まれていくのが見えました。
 
穴に吸い込まれるというのも特に新しい体験では無く、神社などで目をつむっていたり、瞑想をしていたりすると良くあることです。
 
と言うわけで、別に何と言って変わったことがあったわけでは無かったです。背中が痛くなったくらいで。(笑)
 
ただ、瞑想を30分くらいした後で、起きるまで30分くらいを布団の中で寝転んでウトウトと瞑想をしていました。
 
そうしたら、白い紙が見えました。
 
目の前に真っ白い紙を見ている状態です。暗闇で目をつむっているのですが、しっかりと焦点が合った状態で一面の白い紙が目の前に見えるのです。以前(最近)にも1度同じ経験があり、これが2回目です。
 
本当につくづく思うのですが、私のこうした経験というのは、どうしてこう地味なのだろう?って思いますね。
 
白紙の紙って何でしょう?普通なら、予言的なメッセージとか書かれていても良いものだと思うのですが、綺麗に真っ白、白紙の答案用紙ですね。といて、問題も書いてありませんが。
 
20年くらい前の二十歳の頃に、少し似たものが見えたことがありました。その頃は、幽体離脱しかけたり、目をつむっていてハッキリと物が見えたりということがチョイチョイとあり、何か特別な時期であったように思います。
 
その頃に、前にも書いたことがありますが、格子を基調とした黄金模様の光り輝くドア(あるいは壁・紙等の平面)が見えたことがありました。
 
その経験はかなりインパクトのある経験でした。かなり驚きましたし、不思議でなりませんでした。今でも不思議に思っていますが。
 
目で見るよりもリアルに見えて、本当に綺麗だったんです。
 
そして今朝、同じように平面に見えたのは、白い紙。(笑)
 
せめて紙ではなく、神が見えたのならオモシロかったのに。(笑)
 
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