アセンションの時代

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「気・エネルギー」に「意」を乗せる

現在の私の課題の1つは、昨日等の記事に書いているようにパラダイムを「完全に」切り替えることです。
 
今の段階で強く実感しているのは、「ほぼ」切り替えるということと「完全」に切り替えるということの違いの大きさです。この2つの間にはとてつもなく大きな違いがあるようです。
 
私の場合には「ほぼ」ではもうこれ以上前には進めない所にいるようです。これまで新しいパラダイムに軸足を置きながら、古いパラダイムにも片足を残しておくというスタンスで来ていたのですが、そろそろ古いパラダイムから足を離さなくては、新しい次の一歩を踏み出すことが出来なくなっています。
 
面白いものですね。そう思って、これまで散々目を通してきたチャネリング情報に改めて目を通してみると、まったく違った水準からのメッセージとして受け取れるんですね。
 
例えば、「古いものを手放すように」というメッセージは、これまでに何度も繰り返し伝えられてきたことであるのですが、まず大雑把に分離的なエネルギー(生き方)を手放していくことだと理解し、それを推し進めて「さあ、次は何?」と思っていたのです。もう、それは完了したと。
 
しかし、未だにそうしたメッセージは時々あるのですね。そして、自分の中でも「それは「ほぼ」でなく「完全」でなければ次へ進めない」と気づき、何気なくそのメッセージを読み返したりするのです。
 
すると、これまで目で読みながらも意識でスルーしていた「ニュアンス」に気づくんですね。「ああ、やっぱり「ほぼ」ではなくて、綺麗さっぱり「完全」に手放さなくては進めないんだ。」と。
 
同じメッセージを読んでも、人それぞれに自分の進歩に合わせた水準でそれを解釈するんですね。同じメッセージ(字面)を受け取ったからと言って、同じ波動(エネルギー)を受け取ったことにはならないんですね。
 
それは相対的な問題であり、受け取るものが何であるかが重要なように、受け取った者がどのように受け取ったかが重要なのですね。それによって、経験はまったく異なったものになっていきます。経験を創り出すのは、受け取り方によるものなのです。
 
受け取ったメッセージ(字面)はその素材でしかなく、その解釈の仕方こそが創造の本質なのです。
 
さて、今日はもう1つ、新しく取り組んでいる課題についても書いてみたいと思います。それは、エネルギー感覚的なテーマによることです。
 
エネルギー感覚は徐々にではあるものの強まり続け、意識を向ければ常に肉体の外側にまで広がり始めています。
 
エネルギーを深めていくときに、その要素としては今のところ2つの側面があります。まず、第一段階としては「感じる」こと。そして、第二段階として「コントロールする」ことです。
 
まず、感じることが肉体の外にまで広がりだして、強さもそれなりに感じるようになってきているので、自分の中では次はコントロールに自然と意識が向かっていくことになっています。
 
コントロールについては、私は当初から肉体的にリラックスすることを心がけています。どうしてもこの次元に存在するものの傾向として、私達には「筋肉、つまり物理的な力」で動かしコントロールしようとするものが染み付いており、気のコントロールにおいてもどうしても筋肉が強張り変に力んでしまうところが出てくるんですね。
 
だから、「筋肉」ではなくて「意識」でコントロールする事を意識していかなければならないと思うのです。
 
気功師などでも、超一流の人はニコニコしながら軽々と大きな気をコントロールしています。しかし、一流の人は肉体(筋肉)の動きをも駆使して気をコントロールしています。ある意味では本物っぽく見えるのですが、見ていて疲れます。
 
気功の良書には、肉体をも駆使して気を高める方法が色々と書かれていますが、結局は繋がるものに繋がってしまえば、そうした気を高める動作的な肯定は必要なくなると書かれています。
 
それはそれとして、私は気を感じコントロールしようとする時に、基本的には肉体的な側面からのアプローチではなくて、気の感覚的な側面からのアプローチで色々なことを試行錯誤してみています。結果としては同じところに繋がっていくとは思いますが。
 
それはそれとして、気の感覚が肉体の外にまで広がりだしているのですが、次の一歩として少し試し始めているのは、広がっているその気(エネルギー)に「意」を乗せるということを試し始めています。
 
解りやすく書くと、エネルギー感覚の広がりにあわせてその上に意識を拡張するということなのですが、意識を乗せるといっても、幽体離脱のように意識が外へ出てしまうわけではなく、あくまでも意識の中心は脳の位置にあるままで、そこにいながら手足を伸ばすようにして体外のエネルギーに意識というかその端のほうの「意」を乗せるのです。
 
それ自体はこれまでにもエネルギー感覚とはあまり関係なくというか、より繊細なエネルギー感覚の拡張のために瞑想等でやっていたことなのですが、その意識の拡張がエネルギー感覚とリンクしだした感じです。
 
これまでにも時々書いてきましたが、エネルギー感覚にも荒いエネルギーと繊細なエネルギーとの2種類があるんですね。今日の記事で主に書いているのは荒いエネルギー感覚についてです。
 
今では基本的に「肉体次元」と「荒いエネルギー次元」の両方に存在している感じなので、肉体的には質量感が希薄になってきたり浮遊感があったりします。
 
だからと言って何か特別なことがあるという訳ではなく、あくまでも自分の感覚内に留まる話のことですが。
 
新しいパラダイムについても、脳(肉体)で考えて理解しようとする一方で、感覚的にエネルギーに浸透させようという試みもしています。そうして感じることで自分を説得しているというか、理屈より体験という感じでもあります。
 
いずれにしても、あらゆる意味で現在の自分が過渡期にあることを感じます。次元間をまたいでの不安と期待が入り混じって、不安定な状態が続いています。少しずつ消化が進んでいるとも感じていますが、サッサと早送りしてしまいたいところです。
 
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