「鏡」に働きかけても変わらない
例えばマスコミによって、相変わらず事件や事故の暗いニュースがトップを飾って報道され続けています。
この時にそれをどう捉えるかという事が問題になってきます。
大切なのは、「自分」がそれにどういう意味を与え、それとどう関係するかという事です。
私たちは新聞やテレビがそうした暗いニュースを流し続ける事をあげて、社会は進歩していないんではないか?アセンションは本当に進行しているのか?と疑問に思う傾向があります。
しかし、そう捉える事にはあまり意味は無いんですね。
人が何を考えどう行動しているかを、他人であるあなたが心配して批評する事にはあまり意味は無いんです。
それを受けて「あなたがどう考えどう行動するか」、それが全てなんですね。
私たちには自分の進化を棚に上げて、周囲の事をいちいち批評する傾向がありますよね。しかし、そんな事には意味はないんですね。
ただ、それによってあなた自身が考え行動に移すときに、はじめて意味が生まれるのです。
例えば、マスコミが暗いニュースを報道するという事実は、1つの現象としての現れであり、よく言われるようにそれ自体は中立なエネルギーなのです。
そこにあなたが意味を与えた時に、そのエネルギーはネガティブやポジティブに傾き始め、それを持ってそのエネルギーとの付き合い方を私たちは考える必要があるのです。
しかし、私たちはそこにネガティブなエネルギーを与えると、例えばマスコミはそうした報道をするべきではないと思い始めます。
そして、例えばそれが身近な人々の行動であった場合には、それを改めさせたがります。
それは、相手の事を思っての事である場合も多いのですが、実際にはあまり相手の事にはなっていない場合が多々あります。
多次元的な仕組みとしての話しが前提となるので、ここでは深くはその説明に踏み込みませんが、変に聞こえるかも知れませんが、相手を変える一番の早道は、相手ではなく自分を変えることなんですね。
相手を変えようと一生懸命に働きかけるというのは、ある意味で鏡に映し出されたものを変えようと、鏡に働きかけるようなものなのです。例えば、鏡の中の人のネクタイが歪んでいるからといって、それを直そうと鏡に働きかけても直るものではありません。
こうした考え方は世界観としてセットで変えなければ、今までの世界観のままここだけを読み取ると冷めた人間味の無い感じがするかも知れませんが、私たちは1つ1つの個別の認識を変えていくと共に、全体としての世界観そのものを変えていくことになるのだと思います。
それが、パラダイムシフトということなのでしょう。