アセンションの時代

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私たちの「無限の可能性」

私たちは夢を幻想とし、日常を現実として解釈しています。

しかし、本当にそうした解釈は正しいのでしょうか?

高次元の視点からは、日常もまた幻想であるのだと捉えられます。

つまり、私たちの経験している物理的な世界と言うのは、ある意味においては存在していないのです。

夢と同じ事なのです。夢と言うのは、実際には存在していません。しかし、経験としては確かに存在しているんですね。私たちは、確かに存在しないはずの夢と言う世界を、誰もが経験しているのです。

同様に、例えば時間と言うものも、実際には存在していないんですね。変化は存在しています。しかし、時間は存在していないのです。

時間と言うのは、私たちが生み出した概念であり、人々が共通の認識により、いかにもそうしたものが存在しているかのように、幻想として生み出している経験であるんですね。

時間とは、私たちが物理的な現実にはまり込んだ結果、自分の外側にあらゆる真実を見つけ出そうという思いが生み出した、私たちの世界特有の幻想なのです。

時間は、概念によって存在していますが、真理としては存在してはいないんですね。

実は、空間にも同じ事が言えるのです。空間もまた、存在していないのです。例えば、高次元存在である宇宙人のUFOは、空間をカットして瞬間移動したり、空間から消え去ったりする事が出来ます。

また、夢の中でも空間を感じていますよね。だけど、夢は幻想であり実際に空間が存在しているわけではないのです。

それは、空間が幻想であるからこそなんですね。全ては本質的には波動が生み出しているのであり、波動が真理なのです。

例えば、夢の世界はどこにあるのか?答えは「ここ」なんですね。ここで眠りにつけば、ここで夢を見る事が出来ますよね。

時間は無いので、これは便宜上の表現となりますが、過去や未来はどこにあるのか?

そうしたものを見る事が出来る予言者等は、どこでそれを見ますか?「ここ」ですよね。それらをいつみますか?それは、それを見るとき、つまり「今」なんですね。実際に時間を移動して見るわけではないですよね。

全ての時間、全ての空間は、実は「今・ここ」に存在しているのです。

時間と空間は「幻想」であるのですから、存在するものが全て「今・ここ」にあるというのはいたって常識的な考えです。

では、それらはなぜごちゃ混ぜになって混乱しないのでしょうか?

なぜならそれらは全て、違う周波数によって波動的に存在しているからです。

例えば、テレビの電波は全チャンネルの電波が同時にごちゃ混ぜになって存在していますよね。しかし、テレビのチャンネルを特定のチャンネル周波数に合わせれば、そのチャンネル世界だけが画面上にキチンと現れます。

実は私たちの経験している世界と言うのは、その様な仕組みによって存在しているんですね。

私たちは、自分を肉体的な物理存在として認識していますが、では、物理的とは何かという事なのです。現代科学によると、物質とは電子の飛び交う特殊なエネルギー空間である事が解っています。

つまり、世界は電磁波的な信号の組み合わせによって出来ているのです。

それを私たちの五感を通して、1つのまとまった経験的世界として私たちは仮想的に体験しているのです。

それは、テレビが電波信号を振り分けて1つの映像・音声世界を生み出しているようなものなのです。

私達人間の五感が、宇宙の全てのエネルギーを捉えていると考える人は少ないことでしょう。ハイテク機器で測定すれば、私たちの五感で感じられない世界は広く存在している事が確認でき、宇宙科学は人間に捉えられていない物質とエネルギーが、この宇宙の大半を構成していると考え、その未知なる「ダークマターダークエネルギー」を科学的・理論的に探求し続けています。

そうした時、私達個人個人が有する、「思考」というのは、1つの世界を生み出すほどの力を持っているんですね。

実際に私たちは、存在しない「時間」や「空間」を認識によって生み出し経験しています。

それだけではありません、私たちは自分達の思考により「戦争」という経験も生み出しています。

戦争と言うものが、宇宙に存在する真理だと思いますか?(笑)

とんでもない、それは私たちが自ら生み出している経験なのです。

嫌な事に我慢して働かないと生きていけないというのは、宇宙の真理ですか?(笑)

冗談じゃない。分け合えば充分にやっていける豊かさはあるのです。ただ、限られたものを奪い合い、未来のために溜め込むことが必要だと、私たちが「思考」したから、それが現実となって私たちの経験世界を生み出しているのです。

実は、全てが全て、世界はその様にして生み出されているんですね。

スピリチュアルな世界において、私たちは誰もが自らの世界の創造主であると言われますが、それは「例えではない」んですね。それは、そのままの真理であって、私たちは自らの経験世界を、常に創造し続けているのです。

私たちは集団的に、これまでの搾取・競争社会と言う「思考」を手放そうではないかという合意に至り、これまでの社会システムの崩壊を受け入れました。

これによって、強く背中を押される形で、私たちは新しい調和・共栄社会という「思考」を受け入れて、新しい経験世界を創り出す機会を自らに与えたのです。

しかし、集合的にそうした流れを生み出しながらも、個々の判断によってそれを拒み、古い搾取・競争社会にしがみ付く事も、また許されているのです。

私たちは、自らの「思考」により、世界を生み出すことが出来るんですね。

これまで搾取社会の頂点に立って、私たちをコントロールしてきた存在たちは、自覚のないまま奴隷として押さえ込まれてきた私たちが、自らのそうした無限の力に目覚める事を押さえ込み続けてきたのです。

これから、混乱の果てに、新しい調和的な社会を生み出すことが出来ますが、それは「自らの思考」によって生み出されるものであって、これまでの分離的な常識を握りしめた私たちの前に、救世主がやさしくはいどうぞと差し出してくれるものではないんですね。

自分の可能性と言うものを、私たちはどこまでも低く設定する事で、これまでの驚くべき経験世界を私たちは生み出して来ました。

しかし、限界まで低く設定されたそのリミッターを外す時がきたということなのですね。

実感が増せば増すほど、ワクワクも増していくと思いますよ。