アセンションの時代

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アセンションについて

私達を含む「全ての存在」と言うのは、等しく意識に目覚めたエネルギー的存在であるという事が出来ます。

例えば、木や石、あるいは高次元の知的存在達も含めた全てです。

異なるのは、ただ、それをどの様な表現方法によって経験しているかと言う事なんですね。

動植物や鉱物にも意識が存在しているのですが、それぞれの意識形態にあった枠(身体)を有して世界を経験しているのです。

つまり、石にも意識があると言う事です。ただ、それは人間と同じような形態ではなく、石として適した意識であり、人間で言う無意識の様な意識形態であると言えるのかも知れません。

1次元の存在達は、個としての自我には目覚めておらず、完全に世界の一部としての意識なんですね。

3次元の存在達は、世界から切り離れた個としての自我をエゴと言う形で経験しています。つまり、これまでの私達がそれにあたるのです。

3~4次元と言うのは、物質的な経験をするために意識の中に映し出されている仮想現実なんですね。

つまり、意識の中に「視覚情報」として3~4次元の雛形となる映像が映し出され、自らのエネルギー体をそれに重ね合わせる事で、物質世界と言う経験を生み出しているのです。

つまり、私達の経験を生み出している「感覚」と言うのは、全て私達自身のエネルギー体によって生み出されているのです。

例えば、私達は空間(距離感)を感じます。それは、そこに空間があるからそう感じるのだと私達は思っていますが、実はそうであるとも言え、そうでないとも言えるのです。

つまり、3~4次元の経験の中に入りきっている意識状態の下では、それは真実として経験されるのです。その経験の中においては、それが真実なのです。

しかし、一歩下がってより大きな5次元からそれを捉えると、それは真実ではなく幻想なのです。空間(距離感)と言うのは、私達自身の意識とエネルギー体が生み出している仮想現実の1つの要素であって、高次元エネルギー世界の現実に存在しているものではないのです。

エネルギー体として目覚めていく過程では、まず、肉体感覚つまり皮膚感覚や体内の感覚が、肉体と言う枠の外側にまで広がり始めるのを感じる事になります。

そこで主導的な役割を果たすのは、「意識」です。感覚は、意識の焦点が合ったところに生み出されるために、肉体の枠の中の感覚をその外側にまで引き伸ばすような意識的な働きかけが必要になるのです。

それは、サナギがこれまでの肉体的な殻を破って、その外側にまで新しいからだ(エネルギー体)を抜き出す作業と何ら変わりない事のように感じられます。

そうして、感覚が肉体と言う枠を脱ぎ捨てると、感覚は意識の内側全体にまで広がって行く事になります。つまり、意識の捉える感覚の隅々にまでエネルギー感覚が行き渡っていくのです。

つまり、あらゆる経験が視覚とエネルギー感覚によって生み出されている事を、感覚的に捉え始めるのです。

しかし、だからと言って、肉体的な経験が失われてしまう訳ではありません。この幻想的世界を経験している間は、私達の意識・エネルギー体は肉体を起点として経験世界と繋がっており、経験世界との接点として肉体的な経験も継続して行く事になるのです。

ただ、感覚・感じ方がこれまでとは異なった枠(肉体→エネルギー体)を持つようになると言うだけで、肉体的な乗り物が失われる訳では無いのです。

こうした変化と言うのは、ある日突然に強いエネルギーが流れ込んで、劇的な変化を遂げると言うものではないんですね。

そうした可能性もあったのですが、私達の集合意識は、そうしたハードな移行ではなく最大限ソフトな移行を選択したのです。

なぜなら、ハードな移行では過半数を遥かに上回る人類が、肉体的に(この世界での命を保ったまま)その変化についてくる事が出来なかったからなのです。

2012年冬至頃に話題になった、暗黒の3日間、フォトンベルトへの無防備での突入などが、私達の選択しなかったハード路線の平行現実なのです。

実際には、フォトンベルトへは突入しているのですが、高次元存在たちによって太陽系への影響が緩和的に調整されているんですね。

つまり、私達には無理の無いベストなアセンション環境が与えられているので、後は各自が好きなペースで進んでくださいと言う事なのです。

基本的にアセンションの過程と言うのは、人生を通じて年単位~数十年単位で起こっていきます。

「な~んだ、そんなに時間がかかるのか」と思われるかも知れませんが、それでも充分に継続的な激変が続いて行く事になるんですね。

ただ、人間と言うのは直ぐにそれに慣れてしまうためにそう感じにくいだけで。

例えば、私達が子供の頃と今の世界の違いを考えて見てください。電話はダイヤル式の固定電話、スマホ・パソコン・インターネットなど、影も形もなし。

年配の人たちが子供の頃は、道路は未舗装で隣村の祭りを見に行くのに、家族で牛の引く荷車に乗って見に行ったと言う話しを聞くんですね。道には、よく牛の糞が転がっていただとか。

この加速的な変化が、アセンションの過程そのものなのです。エネルギー的、超能力的な変化も確かに表れては来ますが、それだけを極端にクローズアップしてしまうのは、視野が狭いとも言えますし、漫画や映画の見すぎなんですね。私がそうであるように。(笑)

UFOが空を飛び交い始めるのは衝撃的ですが、その衝撃が何年も、あるいは何ヶ月も続くと思いますか?場合によっては、数日で私達はそれを受け入れ自分なりに消化してしまう事でしょう。

テレパシーでも同じです。使えるようになった時は衝撃的でしょうが、そんな衝撃、いつまでも続くものではないんですね。

私達は、まだ見ぬ変化にばかり意識を囚われ、実際に現在、経験しつつある変化を疎かにする傾向があります。

この世界を、広く深く経験する事で楽しんでいかないと、世界に映し出される変化も次から次へと垂れ流されるだけで、実のある経験とはなっていかないのです。

この時代の中では、アセンションはいつ起こるかではなく、私達各自が、いつそこに意識の焦点を合わせるかと言う各自、個人個人の問題なんですね。時代そのものが、アセンションの過程にある訳ですから。



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