アセンションの時代

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「影」を追いかけない

バシャールによって当初伝えられていた、アメリカ大統領選挙までにその変化が表れなかったと言う事によってなのかどうか、よく解らないのですが、政治や金融・経済、あるいは地震等と言った事にまるで興味が無くなってしまいました。

結局そうした現象も、元を辿れば自らの波動の状況によって映し出されてきているものであって、そうした表層を追いかける事への無意味さを、「2016年秋」に期待した事によって、心の深いところから思い知ったような気がしています。

私達が経験している物質世界には、無限のタイムライン(パラレルワールド・可能性)が存在しており、どのタイムラインを選ぶかは自分自身の波動によるものなのです。

「いつ・何が」起こるかと言うのは、自分の波動がどのタイムラインに共鳴しているかによるものであって、それが全てなんですね。

ならば、そこ(つまり、自分の波動)に意識を集中する事で、それが引き寄せた自らの経験世界をその時その時に楽しみ味わっていけば良いのかも知れません。

例えば、「2016年秋」「社会変化」に意識を集中すると言う事は、「影」を観察しているようなものなのかも知れません。しかし、その影の正体は「自らの波動」である訳ですから、主体性を持ってそれに積極的に関与しようとするのであれば、「影」ではなく、その「実体」である自らの波動に向き合う事が正解なのだと思います。

「影」を追いかけている限りは、主体性を持ってそれを創造することは出来ず、追いかける事しか出来ないんですね。

追いかけると言う事は、それに囚われて振り回されていると言う事でもあると思うのです。

例えば、今回のアセンションと言うテーマ上に存在するタイムラインの殆どは、すでに文明を滅亡させていると言うものなのです。

しかし現時点で、私(達)はそれとは異なる、とてもレアなタイムラインを捉えています。

それは、私が「影」を追わずに、「実体」を追い続けてきた結果であると思うのです。

つまり、「学歴社会」や「企業戦士」などと言った「陰」に囚われてそれに振り回されるのではなく、それらとは距離をおいて、ただ「自分の思い・考え」と言う自分の波動と言う「実体」に主体を置いてきたからだと思うのです。

今回は、「2016年秋・アセンション」と言うテーマであったために、珍しくそうして映し出された「影」に期待(囚われ)してしまったのかも知れません。

ただ、暗闇を手探りする中で、そうしたイメージを持つことで、そこに焦点を合わせて自分の波動を引き上げていたのも事実であり、それはそれで意味が合った事だとは思っていますが。

ただ、その「影」が思ったように動かなかった事で、影に振り回された部分の自分に気付いたのだと思います。

おそらくそうした理由から、「影」つまり「経験世界に映し出される変化(政治・経済・地震など)」を追いかける気持ちが綺麗に消えてしまったのだと思うのです。

そして、それらの「影」を引き寄せている自らの波動と言う「実体」に意識の焦点が引き戻されたように感じています。

今は、感覚と空間を一体化させようとしており、それによって物理(幻想)世界を自己のエネルギーの内面に取り込もうと(取り込んでいる感覚を思い出そうと)している所です。

その過程は、これまでの過程よりかなり早い感覚で進んでおり、そうした事をキチンと進めて行くことが、アセンションと言う経験も含めた、それに相応しい様々な経験を映し出してくるのだろうと思います。

そうしたら、今も常に映し出され続けているその結果を、ただ楽しんでいけば良いのでしょうね。

「影」をコントロールしようなどとは思わない事です。「影」に働きかけても、それをコントロールする事は出来ないのです。一時的に出来たように錯覚する事はあっても、それは単に気のせいなのです。

自分に主体性を持ってそれを自己表現としてコントロールするには、「影」に働きかけるのではなく、自己の波動と言う「実体」に働きかける必要があるという事なのでしょうね。

ただ、「影」の中で積極的に自己表現を楽しむと言う事も、私達の目的の1つだと言えます。

現象は「影」だからと軽く見て、相手にしないという意味ではないんですね。それに囚われないという点が大切で、積極的に関わって楽しんでいく事は有益だと思います。



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