メビウスの輪
読書と言うものに興味が無くなってしばらくになる。以前は、そうして本を読まなくなる期間と、爆発的に本を読み続ける期間とが交互にやってきたのだが、本に込められている「知識」に興味が向かなくなってしまった。
金融・経済や政治についても、最近になって殆ど興味が無くなって来てしまっている。習慣で株や為替のチャートだけは見ているが、それを追いかけ予測する楽しさを感じなくなってしまった。
自然の中でエネルギー感覚に浸り、チャネリング情報を眺めながらエネルギー感覚に浸り、そして、人との会話を楽しむ。
充実を感じるのはそれくらいであり、それだけが日常の中で循環されていく。
その他の事は、世界から消えてしまった様にさえ感じられる。実際、そうなのだろう。
すると、「時間」を振り返る時、それは日付ではなく、エネルギー感覚の変化を「基準」として振り返る事になる。
1年前何があったか、2年前に何があったかと考えてもピンとこない。しかし、エネルギー感覚がどういう状態の時に何があったかを振り返れば、それは直ぐに感覚の中に浮かんでくる。
本やニュースと言うのは、世界の出来事の真理・本質を捉えようとして、自分の中に詰め込み楽しんできたものだと言えます。
そうして、外側の情報を追い続けていった結果、その真理・本質と言うのは、自らの内側にあるのだと言う事になったのです。メビウスの輪ですね。
例えば解りやすい例として、理論物理学があります。
外側に現れる「物質」の真理・本質を追究していきます。すると、その物質の性質を持った最小単位としての分子に行き当たります。そして、それは原子に分離する事が出来ます。
しかし、この「電子」「素粒子」あるいは光の最小単位としての「光子」など、つまり、この世界を構成している最小単位のエネルギーは、「観測者の影響を必ず受ける」のです。
つまり、観測者が観測した瞬間瞬間によって、それらは存在する位置を変えており、まったく同じ位置や状態を安定的に観測する事は出来ないのです。
つまり、それらは相対的な関係の中に真理がある事を物語っているのです。
そして、その一方でそうした出来事を、どの様に「経験」するかと言うのは、自分自身の内面によって決定されるものなのです。
つまり、外側を追求していったら、いつの間にかその追及は自分の内側へと向かっていたと言う事なのです。
それを今からまた、外側に戻って追求を楽しもうとしても、種の明かされた手品を楽しもうとしているようなもので、ワクワクしないんですね。
「知識や情報」を楽しむ事が出来なくなってきていると言う事です。
では、もうこの世界を楽しめないのかと言えば、そうではないんですね。「経験」を楽しむ事が出来ます。この物質世界と言う特殊な環境世界を、色々な角度から経験してみる事が出来るんですね。
それは自然を感じる事であったり、味覚を楽しむ事であったり、音楽や絵画などの芸術を楽しむ事であったりする訳です。
今でも、ヒョイと庭に目をやると、びわの木が朝日を浴びて微かに風に揺られており、甘夏のオレンジの実が濃い緑の葉の下で照らし出されているんですね。その間をスズメが飛んでおり・・・。
凄いなぁ、芸術だなぁって感動するんですよね。これからは、知識や情報を集めるのではなくて、上手に「経験」を楽しんで生きたいです。