アセンションの時代

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「状況把握」について

この先しばらくの社会は、世界的に大きく荒れだす事になると思います。

しかし、世界が荒れだすからと言って、全ての人の現実が一様に荒れだす訳ではありません。それこそ、どうにもならないと思えるほどに追い詰められる人もいるでしょうし、そうした状況の中で活動範囲を広げて生き生きと動き出す人もいます。

では、それらの違いと言うのは、どう言った所から生まれてくるのでしょうか?

まず、私達の経験と言うのは、2つの側面から成り立っています。1つは内面的なスピリチュアル世界であり、もう1つは外面的な物質世界です。

それらが表裏一体となって、目の前の経験世界が成り立っているのです。

つまり、その表裏それぞれの世界における備えが出来ていれば、例え社会が荒れだそうとも、自らの経験世界を荒れさせる必要はないと言う事です。

スピリチュアル世界の備えと言うのは、精神的な目覚めであり、それそのものが人生の目的となるものです。

それは、備えを始めましょうと思って、テキパキと進められるものではなく、常日頃から意識的な取り組みを積み重ねている必要があります。

これについては、より明確にそれを意識して行きましょうと言う以上には備え様がありません。

一方で、物質世界の供えについては、前にも書いたように過去記事や電子書籍に散々に書いてきたことなので、必要な方は確認して見ていただけたらと思います。

昨日も書きましたが、崩壊前であれば安価に簡単にそろえられる備えも、崩壊のスピードによっては突然に何も手に入れられなくなるという事はありえるのです。

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ただ、そうした表裏の折合わさったところで、物質世界の状況をスピリチュアル世界の中で多面的に把握し整理しておくと言う事も、補助的な備えとして役に立つでしょう。

何かに衝突したとしても、その成り行きを把握して衝撃に備えているのと、まったく無防備な状態で突っ込んで行くのとでは、受ける衝撃が大きく変わってくるのです。

そうした状況把握について最近の記事では伝えていた訳ですが、例えば、趣味としてでも本を書いた事のある人は解ると思うのですが、1冊の本をまとめようと思ったら、10冊分以上の知識がなければそれをまとめる事は出来ないんですね。

私の場合は、角度を変えて同じ事を言っている場合が多いので、そんなに知識があると言う訳ではありませんが、基本的にはそう言うものであり、「そんな事なら俺でも書ける」と思っても実際には書けないのが普通なのです。

私は若い頃に、文学小説等もよく読んでいたのですが、「自分でも書けそうな気がする」と思って、何度か書きかけた事があったのですが、書けないんですね。

それは、実際に自分で取り掛かってみた事がないと実感するのは難しいと思うのですが、それを書き進めて行くには表に出ない膨大な量の知識的裏づけがなければ、ストーリーとして纏め上げて行く事は出来ないのです。

つまり、ここではブログ記事と言う短文形式なので、そこまで大げさな話しではないのですが、かなり追い詰められた状況になって来ていると書けば、そこには文字として上げられていない情報もそれなりにある訳なのです。

何がいいたいかと言うと、ここから得た情報は「答え」として使うのではなく、「呼び水」として使ってほしいと言う事なのです。

皆さんがこうして呼び水を受け取ったら、それを利用して、皆さん自身でも状況の把握を進めて見て欲しいと言う事なんですね。それによって、「砂見の知識」であったものが、「あなた自身の知識」になるのであり、その過程を大切にして欲しいのです。

ただ、あまり深くはまって囚われる必要はありません。あくまでも補助的な取り組みなので、状況把握は軽くで良いと思います。しかし、スピリチュアル的な面では深く追求した方が良いと思います。

例えば、中国や韓国の調子が悪くなって来ており、日本やアメリカはそれと距離を置き始めていると書けば、その裏にはその根拠となっている政府の対応がたくさん隠れているんですね。

それらを面として把握して見ると、単発的な出来事に対するバラバラの対応ではなくて、国家として戦略的に舵を切り関係を大きく変化させ始めていると言う事が見えてくるのです。

そうして点ではなく線、線ではなく面として物事を捉えて行くと、それまで見えていなかったものが自分の中に浮き上がってくる事になります。同じだけのバラバラの情報を受け取っても、自分の中でどの様に捉えるかによって、受け取る情報量がまるで変わってくるのです。

そしてさらに、そこにスピリチュアルな側面、アセンション的な視点を加える事で立体的に状況を把握して行くと、刻々と変化を続けるアセンションの過程と言うものが浮かび上がってくる事になります。

それは、経験の全てに活かして行く事の出来る、ものの見方なんですね。

私達はとかく、目の前の出来事に囚われて、全体的な視点から深く物事を見る事が苦手なのですが、何に対してもそうした広い見方をして行くことを少しずつ意識して行くと良いかも知れません。

これもスピリチュアル的な備えと同じで、やろうと思って直ぐに出来る事ではなく、常日頃からの積み重ねが大切なんですね。

それはそのまま、スピリチュアル的な覚醒を進める事でもあり、意識やエネルギー感覚を拡大させる事でもあり、当然、アセンションの過程を大きく押し上げる要素でもあるのです。

全ては一体的に繋がっているのですから、当たり前の事ではありますが。

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まとめとしては、備えにはパッパと進められるもの(物質的な備え)と、時間をかけて備えるもの(スピリチュアル的な備え)があると言う事。

物質的な備えは、例えば今、預金封鎖や巨大地震が起こればもう手遅れで、それから備えようと思っても昨日までの10倍の努力をして10分の1も集められない事になります。

柔軟に備えると言う意味で、過剰な備えは逆に負担となる場合があり、無理のない備えを進めておく必要があると言う事です。

スピリチュアル的な備えについては、備えというよりは取り組みの方向性を確認しておき、意識的に取り組みを進めて行くと良いと思います。



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